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「泣くな! この悔しさを忘れるな」17歳の村上宗隆は声を張り上げて…スラッガーを育てた“最後の夏”と大粒の涙を見せた”ただ一人”の相手
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/08/24 11:01
村上宗隆の原点は、高校時代の鍛錬にある
「体の中で打つんだ」
村上とバッテリーを組む1学年下のサイドスロー投手、田尻裕昌は何度も村上のアーチを見た。田尻が最も度肝を抜かれたのは、明治大学との練習試合だった。村上の学年では、早稲田実業の清宮幸太郎が有名で、それに比べて村上は全国区というわけではなかった。おそらく、大学生も村上のことは知らなかっただろう。ところが、村上はどでかいホームランを放ち、明治の学生を唖然とさせた。田尻は村上から打撃の極意を聞いたことがあった。
「バットじゃない。体の中で打つんだ」
手先ではなく、体の芯から生まれた力をバットに伝え、球を弾き返す。それが強打の源泉だった。村上は最終的に高校3年間で通算52本塁打を記録するが、甲子園でアーチを架けることはなかった。なぜか?
彼の前に立ちはだかったのは新興勢力の秀岳館だった。アンダーカテゴリーの日本代表に選ばれるような逸材が続々と熊本にやってきた。'15年夏に九州学院が甲子園に出場した後、秀岳館は'16年春夏、'17年春と甲子園に出場、3大会連続でベスト4に進んでいた。村上が最後の夏を迎えた'17年には、ソフトバンクからドラフトで指名される田浦文丸、その夏にU-18の日本代表としてアメリカから15三振を奪う川端健斗のダブルエースがいた。
“打倒秀岳館”の悲願
熊本のファンは地元愛が強い。県外からやってきた選手が並ぶ秀岳館に対する反感は強く、「あそこがおらんなら、九学が甲子園に行けとったとに」と怨嗟の声が渦巻いていた。しかし、坂井や村上をはじめ、部員たちは秀岳館の存在を歓迎していた。坂井はこの挑戦を前向きに捉えていた。