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「なぜ立命館じゃダメなんだ」と反対も…名門・諫早の女子高生ランナーは、なぜ“新設陸上部”の大学を選んだのか「伝説を作る側になってみたい」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byNanae Suzuki
posted2023/08/13 17:00
長崎県の長与町出身の森智香子。かつて諫早高校の注目ランナーだった森が選んだのは女子陸上界では“無名”と言える大東文化大だった
学校の進路担当の先生が「森は大東文化大に行きたいのであって大学に行きたいわけではない。そこで力をつけて実業団に行く」というプランを理解してくれて、周囲を説得してくれた。骨が折れたが、最終的に大東文化大に進学することになる。
3000m障害との出会い
大学では、1500mをメインに取り組む。関東インカレで3連覇を果たし、中距離ではトップ選手として君臨。だが、大学3年の時、思いがけない理由で3000m障害を始めることになる。その頃、森は学生の世界大会であるユニバーシアード出場を目指していたが、3年時は1500mに選手を派遣しないと日本学生陸上競技連合が決め、得意種目での出場枠が消えた。なんとしてもユニバーシアードに出たかった森は、監督から「ロシア(カザン)で行われるユニバーシアードに1500mで出られないなら、同年ロシア(モスクワ)で行われる世界陸上を3000m障害で目指してみたら」と冗談混じりに言われた。
「千葉国際クロスカントリーという大会で丸太の障害を越えるためにハードルのような物を飛び越える練習をしている姿を見て、そう言っていただいたんです。当時、3000m障害をしている人が少なくて、学生記録も10分台だったので、もしかしたらと思ってやってみました」
4月、5大学対抗戦のオープン種目で女子3000m障害を作ってもらい一人で出場、いきなり日本選手権の参加標準記録を突破した。長距離では世界が遠いが「これなら世界に近づけるかもしれない」と思い、森は競技の軸を3000m障害にシフトしていった。
女子大生ランナーの日常
大学は、寮生活だった。
当時は、女子陸上部の寮ができておらず、一軒家を借り切って部員だけで生活し、スーパーで買い物をして自炊していた。当初は2学年しかいなかったので、上下関係も厳しくはなかった。練習のメニューもそれぞれの高校時代の練習を思い出し、意見を出し合う中で組み立てていった。その頃に取り入れた練習が今も健在だという。