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「いやいや、ちょっと待てよ」「頭が真っ白に」巨人・内海哲也が味わった“人的補償で西武移籍”の衝撃…気落ちする左腕を救った“ある言葉”とは
text by
内海哲也Tetsuya Utsumi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/07/12 17:03
2018年12月21日、笑顔で西武の入団会見に臨む内海哲也。7月12日発売の著書『プライド』では“人的補償の衝撃”を赤裸々につづっている
少し時間を置いて、田畑さんと話し合いに行きました。
「僕がやったことはあり得ないことです。すみませんでした」
そう謝った上で、自分の思いを伝えました。
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「でも、僕の気持ちもわかってほしいです。なんで、6回も続投だったんですか?」
当時は、心身ともに散々な状態でした。一軍復帰が見えてこなくて焦り、負の連鎖に陥っていました。
田畑さんも、僕のことを扱いづらかったと思います。長く在籍してきたという立場をいいことに、好き勝手に振る舞っていた自分が明らかに悪い。コーチになってみて、当時の僕みたいな選手がいたらやりにくいとわかります。うまくいかないときこそ謙虚でいないとダメだと、猛烈に反省しています。
今となっては、という話ですが……。
巨人晩年で一番うれしかった瞬間
「明日から一軍だ。頑張ってきてくれ」
どん底に沈んでいた2016年シーズン、田畑さんから電話でそう言われました。苦しかったジャイアンツの晩年で、一番うれしかった瞬間です。
5月上旬のオフの日、公園で子どもと遊んでいたときのことでした。用件だけを聞いて電話を切った直後、その場でガーッと泣き出しそうになりましたが、周囲には人がたくさんいるので我慢して車に行きました。妻に電話で報告をすると、思わず涙があふれてきました。
〈ああ……俺もこんな感情になるんやな〉
今になって振り返れば、一軍の戦いに戻ることを半ばあきらめていたのかもしれません。以前は二軍に落ちても、いいピッチングを1、2回すれば「じゃあ、上に行こうか」となっていたのが、何回登板しても声がかからない。その間に打たれもするし、コーチと衝突もする。何をやってもうまくいかない時期でした。正直、苦しかったです……。
それでもあきらめなかったのは、やっぱり一軍で勝ったときの喜びが忘れられなかったからです。あの気持ちを、もう1度味わいたい。もうひと花、ふた花、咲かせたい。やっぱり内海がいて良かったと、チームに思ってもらいたい――。
自分はまだできるという思いと、もう無理かもしれないという気持ちはちょうど半々くらいの割合でした。いつ切れてもおかしくない自分の気持ちをつなぎとめてくれたものとして、若い頃からずっと続けてきた朝のルーティンも大きかったと思います。毎日誰より早く球場に行き、自分の練習をしていたことです。その習慣が、苦しいときでも自分の背中を押してくれました。だからこそ、あきらめずに済んだのかもしれません。