酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
ダルビッシュは22歳時WBCも「データをじっくり観てました」2度優勝“侍ジャパンの裏方”が語る喜び「僕たちもチャンピオンリングを」
posted2023/06/22 11:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Sports Graphic Number
レーダー技術を活用した弾道測定器「トラックマン」は、今やNPBのほとんどの球団が本拠地に導入している。この「トラックマン」の野球部門の責任者である星川太輔氏は、2009年の第2回WBC、そして今年の第5回WBCに、データ関係のスタッフとして参加。対戦国の1球データや、トラックマンなどの計測機器を活用して、選手やチームをサポートしてきた。
裏方として侍ジャパンの選手たちと共に戦った星川太輔氏に、WBCのバックヤードで何が起こっていたのか――その記憶を思い出せる限り、語ってもらった。
星川氏は慶應義塾大学の出身、卒業後はデータアナリストを志し、スポーツデータの解析・配信などを行う株式会社アソボウズ(現:データスタジアム株式会社)に2001年に入社した。
データスタジアムと言えば、マニアックな野球ファンに熱烈に支持されるNHKBSの「球辞苑」のデータ部門を担う会社として知られるが、日本初の本格的なスポーツアナリスト集団として、21世紀に入って活動を開始した。星川氏は現場でのデータ測定、解析などの分野で活躍していた。
星川氏は2009年の第2回WBCに、データスタジアムの営業担当兼アナリストとして、2月の宮崎キャンプからアメリカの決勝ラウンドまで同行している。まずはその当時の思い出について回想してもらおう。
朝4時くらいに各選手の部屋にデータを
〈2009年3月23日、アメリカ、ドジャースタジアムでの韓国との決勝戦でダルビッシュ有投手が延長10回、鄭根宇選手から三振を奪って勝利した瞬間を、ベンチの端っこで見ていました。当時はデータスタジアムの4人のスタッフの一員として日本代表チームの分析業務を請け負っていました。
基本的に日本代表のスコアラーは、監督の出身球団から出ています。北京五輪の時は星野仙一監督だったので阪神のスコアラー、第2回WBCは原辰徳監督なので巨人の三井康浩さんがチーフスコアラー、西山一宇さんがスコアラーで、この方々にデータを作成して提供していました。
選手に提供するデータは膨大な資料になります。台湾、韓国、中国、アメリカ、メキシコなど対戦が予想されるすべてのチームのデータを全員で集めていました。それをレポートに、映像はDVDにして選手に渡していました。
情報は鮮度が命なので、大会が始まると日本戦だけではなく、よその球場でやっている他の国のデータも試合ごとに全部アップデートする。そしてそれを夜のうちにずっと集計作業をして、朝4時くらいに各選手の部屋に入れていました。