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アイルトン・セナの伝説の走りを彷彿させて、今季充実のフェルスタッペンがレジェンドに並ぶ41勝を達成
posted2023/06/21 06:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images / Red Bull Content Pool
偉大な記録に、ひとりのドライバーが肩を並べた。
第9戦カナダGPでマックス・フェルスタッペン(レッドブル)が今シーズン6勝目、自身通算41勝目を挙げ、80年代から90年代にかけて活躍した伝説のヒーロー、アイルトン・セナの記録に到達した。
その記念すべき勝利を挙げたフェルスタッペンを、表彰台の下から特別な思いで見上げていたのが、レッドブルでホンダのメカニックとして仕事する吉野誠だ。
吉野にとってセナはあこがれのヒーローだった。高校時代にテレビでF1を見ていた吉野は、当時活躍していたセナの走りに心を奪われた。
「最も印象に残っているのは、1991年のブラジルGP。途中、トラブルに見舞われながらも、6速だけで優勝するなんて考えられない」
肩の痛みを堪えて、表彰台でトロフィを抱き上げる姿を見て、F1の道を目指した。
F1への夢を挫いたセナの事故
高校を卒業した後、メカニック養成の専門学校であるホンダ学園へ入学。2年後の90年、卒業と同時にホンダへ入社。最初はモータースポーツではなく、市販車のメカニックだった。それでも、「いつの日か、F1の仕事をやろう」と、テレビでF1を追い続けた。
しかし、94年のサンマリノGPでセナが事故死。そのテレビ中継を自宅で生観戦していた吉野は涙をこぼした。
「セナが好きでF1を目指してきたけど、セナのいないF1は自分の中ではF1ではない」
吉野は、いったんF1から距離を置いた。
それから2年。ジャック・ビルヌーブがF1にデビューし、ミハエル・シューマッハがフェラーリに移籍した96年に、久しぶりにテレビでF1を観戦したとき、吉野は「やっぱりF1はいいな」とあらためて感じ、再びF1を目指しはじめる。
ホンダがワークス参戦を目指して準備を開始した98年に、吉野はF1のメカニックに採用されヨーロッパへ。最初に担当したドライバーがフェルスタッペンの父親であるヨス・フェルスタッペンだった。