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「第一志望は京大医学部です」灘高野球部が67年ぶりに“壁”を突破…主将が語る“意外な日常”とは?「バリバリ勉強という感じでもない」 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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posted2023/04/26 11:01

「第一志望は京大医学部です」灘高野球部が67年ぶりに“壁”を突破…主将が語る“意外な日常”とは?「バリバリ勉強という感じでもない」<Number Web> photograph by Fumi Sawai

「校則がほとんどない」というほど自由な校風の灘高校(写真は野球部の3年生)。勉強も野球も選手たちの自主性を重んじている

 取材した日のメニューは、ノックの後に、2人の打撃投手を相手にしたフリーバッティング。曜日によっては中学の軟式野球部や他部活と併用になるグラウンドは住宅地にあるため、打球が飛んでいかないよう金属バットではなく木製バットを使用していた。

「練習メニューは私が叩き台を作りますが、そこに選手から“こんな練習もやりたい”と提案してくれるので、それを踏まえて考えています。基本的なメニュー以外にも、『残り6イニングで3点差をどうひっくり返すか、どう守るか、を考えたい」と具体的なシチュエーションを想定した練習を要望してくることもあるんですよ」

「授業の進度は速い」としながらも、進学校と呼ばれる学校と比べると授業数はむしろ少ない方で、小テストや長期休暇後のテストなど以外は部活動の時間に制限はない。その一方で、勉強を理由とした練習早退や欠席には寛容。校則がほとんどないという主体性を伸ばす校風だけに、学業も部活動も選手たちの自主性を重んじている。

「2年秋で引退」が大半だったが…

 現在、灘高野球部には計24名が在籍している。そのほとんどが灘中軟式野球部出身だが、少年野球などの経験はほとんどない生徒ばかりで構成されているという。

 新3年生はもともと17名の部員が在籍していたが、この春を前に6名が受験準備の事情で一足先に“引退”。引退した6名のうち4名は昨夏にスタメン出場していた主力だったためにメンバー繰りには苦心したが、宮崎監督はそれぞれの目標への準備や事情、方向性を尊重し、下を向くことなく新しいチームづくりに励んできた。

 灘高校に限らず、進学校の部活動は、2年秋もしくは3年春を迎える前に引退する慣習がある。灘高野球部でもひと昔前はそれが当たり前だった。

「15年くらい前までは確かにそうだったようです。それが前任の監督さんからこういった慣習を少しずつ変えよう、という流れになりました。以前には、1学年10名しかいないのに5名が辞めてしまい、他の部からメンバーを借りて秋の大会に出場したこともあったそうです」

 だがここ数年は、“中途引退“する選手は減っているという。事実、今年のチームは11名が残っている。

「上級生が残したものを下級生が受け継いで、さらに変えていく。そういう風潮を作っていきたいんです。ここでは練習で特に変わったことはしていませんが、野球のレベルは先輩たちが年々上げていってくれています。先輩から受け取ったものをひとつでも増やして、次の代に渡す、というのが目標なんです。(2年生の途中で)辞めてしまうと、もらったままなので、最後までやって欲しいなというのは本音ですね。最後まで続けることに意味はあるし、実際卒業しても最後まで続けて良かった、と思ってくれている子は多いです」(宮崎監督)

【次ページ】 昨夏の1勝「勝ちたい思いが強くなった」

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