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「甲子園で勝てなくなった。なぜ…」歴史的センバツV・山梨学院の吉田監督はいかに“再起”したか? 試合後に語った「優勝で帳消し」の真意
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNanae Suzuki
posted2023/04/02 17:01
「この優勝で少しは帳消しにしてもらえれば」。センバツを制した山梨学院・吉田洸二監督のコメントである
甲子園で勝てない…「心が重くなっていた」
教員との二足の草鞋だった清峰時代と違い、「職業監督」として着任した山梨学院で吉田に求められるのは結果である。
13年に同校の監督となり、16年からは山梨では夏4連覇と強さを堅持しながら、昨年まで8度の甲子園でわずか2勝。初戦突破が最高成績だった。全国の舞台に立つことではなく、そこで勝つことが評価の対象として臨んでいる吉田にとって、その成績は受け入れがたい結果でもあったのである。
とりわけダメージが大きかったのが昨年だ。山梨での連覇が止まった21年から主力を担う選手が多く、吉田が「頂点を狙える力がある」と手応えを抱いていたチームはしかし、春夏ともに甲子園で初戦敗退だった。
「なんで、目指してるのかな?」
昨夏の甲子園が終わってしばらくしてからのことだ。所用で甲子園球場の前を通った際に、暗い霧が吉田を包んだという。
「学校だったり、いろんな方にバックアップしていただいているのに甲子園で勝てない。心が重くなっていましたね」
監督の沈痛。機微を敏感に感じ取っていたのが、息子であり部長でもある健人である。
息子(部長)が見た吉田監督
現役では清峰、指導者としては山梨学院で背中を追う26歳の若きブレーンは、父であり監督でもある吉田の苦悩をこのように明かす。
「清峰では選手と一緒に戦って、勢いで勝てた部分はあったと思うんです。山梨学院では狙って勝っていかなければいけない責任のなか、自力でチームを作ってきても去年のように勝てなかったり。辛かったと思います」
吉田が言った、指導者としての「油断」を健人も二人三脚で埋めていった。
主将は“2年前の牽制で刺された1年生”
監督から「練習メニューを含め、現場のことは基本的に部長に任せている」と全幅の信頼を寄せられる健人は、野球の隙を埋める作業に力を注いでいるという。
なかでもテコ入れしたのが走塁だった。シートノックから走者を置くなど、より実戦的な練習で技術を磨くのはもちろん、動きが緩慢だったり、少しでも集中力に欠けていると思えばくどいほど指導してきた。
「俺だけが言うんじゃなくて、自分たちでも気づいたら指摘し合ったほうがいいぞ」
そうやって日々刺激されてきたことが大きかったと話すのは、キャプテンの進藤天だ。1年の夏、富士学苑との試合で牽制死したサードランナーが彼だった。