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WBC選手採点“5/10点”に「Numberおかしいわ!」…糸井嘉男が明かす“日本の4番がバント”の本音「当然じゃないですか?」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNaoya Sanuki
posted2023/03/08 11:00
2013年WBCに出場した糸井嘉男が明かす舞台裏
野手転向後に開花…近づく「日本代表」
野手に転向した後、09年から4年連続3割。この12年にはリーグ優勝の欠かせない戦力となり、シーズン終了後のキューバとの強化試合にも代表選手として招集された。「選ばれる可能性があるな」。ここで糸井は、初めて憧れの国際舞台を意識できたという。
糸井にとって、それは「世界」と同義だった。年が明けた13年。春季キャンプまで10日を切った1月23日に突如発表されたオリックスへの電撃トレードも、将来的にメジャーリーグ挑戦を目指す糸井と球団との折り合いがつかなかったと報道された。
「そこはまあ、いろいろありましたけど」
そう言って苦笑するが、日本代表の合宿に参加すれば、そういった外野の声すら耳に入らないほど戦闘モードに突入できた。
憧れだった日の丸のユニフォームに袖を通すと、身も心も引き締まる。世界と戦う集団は刺激ばかりだった。
相川亮二の筋肉は「むっちゃエグかった」
エグっ!
その隆起する大胸筋に、糸井は見惚れた。筋肉の持ち主は相川亮二。36歳とベテランと呼ばれる年齢となってもなお、向上心を絶やさず身体を鍛え抜く姿に共鳴する。
当時を回想する糸井の眼が、輝く。
「僕もトレーニングには目覚めていたんですけど、相川さんむっちゃエグかった。個人でトレーナーさんを雇って強烈にやってはって。とにかく毎日、欠かさずやる。試合の日でも朝にアーリーワークでウエートやって筋肉に刺激与えてから、全体練習で技術をやっていくっていう。僕、興味が出て、ベンプレ(ベンチプレス)仲間にしてもらいました」
相川は04年のアテネオリンピックと第1回WBCにも出場した、国際大会の経験が豊富な選手だった。所属チームでは主力でも、日本代表では控えキャッチャーだった先人と多くの時間を過ごしたことが、糸井に「監督のコマであれ」の自覚を高めさせたのである。
「日本の4番」がバントした日
印象に残る試合に、オープニングゲームのブラジル戦を挙げたのがそうだ。
チームの大黒柱である阿部慎之助が古傷の右ひざ痛によりスタメンから外れたこの試合、4番を任された糸井はチームプレーに徹した。