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“賭け将棋の鬼”からプロに…「命と引き換えなら安いもんじゃ」“元奨励会の筆者”とベテラン棋士が知る元真剣師・花村元司の意外な素顔 

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片山良三

片山良三Ryozo Katayama

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photograph byMasaru Tsurumaki

posted2023/02/23 17:01

“賭け将棋の鬼”からプロに…「命と引き換えなら安いもんじゃ」“元奨励会の筆者”とベテラン棋士が知る元真剣師・花村元司の意外な素顔<Number Web> photograph by Masaru Tsurumaki

いわゆる「真剣師」から棋士になった花村元司さん。伝説の人物の素顔を追った

「池田修一(故七段、花村門下)が八戸に住んでいて、彼の自宅に遊びに行ったことがありました。玄関先にいきなり、“正直親切 花村元司”という色紙が飾ってあってね。鬼がしたためる揮毫じゃないでしょ? 思わず大笑いしてしまいました。“東海の鬼”の顔を見た人はおそらくどこにもいないと思いますよ。真剣師だった時代に、賭け将棋や賭け碁(囲碁も素人離れした腕前だったという)でみんなから金を巻き上げていたから、強すぎるという意味で鬼とされたんだと思います」

 私が入門してからわずか12年後の'85年に67歳という若さで現役のまま突然この世を去られてしまったわけで、「東海の鬼」の顔を見せてもらえなかったのは、先生がすでに晩年だったからだろうとずっと思っていた。今回、石田の話を聞いてようやく腑に落ちた。鬼は元々いなかったのだ。

 花村門下となった事情も特殊だった。青森県出身で、同郷のご縁を頼って池田修一に弟子にしていただき、奨励会の入会試験に合格したところで池田の師匠である花村の門下生として将棋連盟に登録されたのが私なのだ。「池田門下では肩身が狭い思いをするだろうから」という気遣いを聞かされたことを覚えているが、15歳の少年はその重みを感じていただろうか。あくまでも名義上の師弟関係だからと割り切って考えていて、師匠花村に対して一歩も二歩も引いて構えていたのかもしれない。もちろん、将棋を指していただいたことなど一局もなかった。

「それならよろしい。勝負事はなんでも勝たなあかん」

 師匠との初対面はあまりにも印象的で、いまでもその情景が浮かぶ。東京都調布市の京王閣競輪場のトイレがその場所だった。小屋の壁面にコンクリートを打ちっ放して、等間隔に細かく穴をあけた緑色のビニールホースが上部に渡してあるだけの粗雑な造り。ホースからチョロチョロ出る流水が水洗がわりという小用のトイレなので、当然のように左右の仕切りさえない。今の若い人にはおそらく想像もできない、文字通りの「便所」だ。

 こんなところで小便? と思いながらそこに立つと、山高帽をかぶった小ぎれいなおじさんが距離を詰めてきているのが視界の端に見えた。気がついたら、その人は肩が触れ合うぐらいの真横にいた。空いているのになんでとなりなんだよ? とばかりにその人物の正体を確認すべく右を向くと、なんと花村先生だったという驚き。用足し中で気をつけの姿勢もままならない状況のなか、師匠からかけられた最初の言葉は、「勝ってるか?」だった。精一杯の返事で「ハイ!」と答えると、「それならよろしい。勝負事はなんでも勝たなあかん」とおっしゃって、風のように去って行かれたのだ。

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