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「め、メッシがイタリア人認定?」アルゼンチンW杯優勝に“なぜかイタリアが超ウキウキ”なワケ「マラドーナ神が乗り移った!」

posted2022/12/22 11:03

 
「め、メッシがイタリア人認定?」アルゼンチンW杯優勝に“なぜかイタリアが超ウキウキ”なワケ「マラドーナ神が乗り移った!」<Number Web> photograph by Mutsu Kawamori

ついにW杯トロフィーを掲げたメッシとアルゼンチン。しかしなぜ、イタリアが大ハシャギしてるのか

text by

弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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Mutsu Kawamori

アルゼンチン優勝で幕を閉じたW杯。当地だけでなくサッカー大国はどのようにメッシらの躍動を見たのか。イタリアとブラジル在住の日本人ライターに記してもらった(全2回)

 カタールW杯はアルゼンチンの優勝で幕を閉じた。主役はもちろん悲願の世界一を達成した英雄リオネル・メッシだった。

 そこで、イタリアでは……い、いつの間にか、メッシが“イタリア人”になっていた。

 それどころか、メッシを戸籍登録している田舎町役場まで存在していることが発覚した。

 イタリア半島の中部東岸にあるマルケ州の社会学者フィオレンツォ・サンティーニは、メッシのW杯制覇に興奮を隠さない。

「メッシは、純マルケ産100%です。彼はわれらがマルケ州の誇りですよ!」

 まるでジュースかオリーブオイルみたいな言われようのメッシだが、アルゼンチン第3の都市ロサリオ生まれの彼がイタリア移民を先祖に持つことは周知の事実だ。ただし、その詳細な足跡は謎のままだった。

「メッシ」が南米に向けて旅立った土地とは

 マルケ州の移民史を調べていた社会学者サンティーニは、1883年に同州のレカナーティという辺鄙な町からリオネルの父方の高祖父にあたるアンジェロ・メッシが南米に向けて旅立ち、母方の高祖父ラニエロ・コッチェッティーニも37km離れたサン・セベリーノという山村から1889年にやはり同じ新天地を目指して出発したことを突き止めた。

 町の古文書やアルゼンチン側の入国記録を徹底的に洗い出し、メッシの両親や親戚の協力を仰ぎながら、一族の系譜と足取りを確定させるのに3年を要した。

  “メッシさん”だらけのレカナーティ町には、現在も人形職人のレアンドロ・メッシという縁戚が暮らしている。史上最高のサッカー選手とは三従兄弟(みいとこ=曾祖父母の兄弟の曾孫等)という遠い続柄らしい。

「“メッシ君”が10人もいたんです」

「01年にメッシという少年がバルセロナと契約したというニュースを聞いて、ピンときました。間違いなくうちの地方特有の姓だと。当時、マルケ州内の同じ年代のリーグには“メッシ君”が10人もいたんです」

 サンティーニは学者だが大のサッカー好きでもあった。アルゼンチンが大会初戦のサウジアラビア戦で黒星を喫した夜、イタリア公営放送RAIの特番にゲスト出演した彼は世紀の発見について語り、個人的な思いを述べた。「いつかメッシ本人の口から『私はマルケ州の出身です』と言ってもらいたいですね」

 世界的に有名なローマやヴェネツィアと異なり、国際的知名度に乏しい田舎のマルケ州にとって、メッシは完全に“おらが村のヒーロー”と化した。

【次ページ】 自治体ルールで“メッシをイタリア人化”しちゃった

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