オリンピックへの道BACK NUMBER
羽生結弦は涙を浮かべていた…アイスショー八戸公演で見せた“魂とクオリティの90分間”に、記者は再び驚いた「28歳はプロだけの自分になる」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2022/12/06 17:00
12月5日、アイスショー「プロローグ」八戸公演で千秋楽を迎えた羽生結弦
羽生の特別な思い「震災と同い年のプログラム」
『悲愴』のあとにはある映像や写真が流された。2011年3月11日の東日本大震災に関連するものだ。
「僕が3月に被災をして、アイスリンク仙台が使えなくなってしまった後に東神奈川のリンクでまず自分の恩師である都築(章一郎)先生という方にお世話になりました。その後に八戸の方でも『電気とかは使えないけど滑っていいよ』と言っていただいて、滑らせていただきました。実際に節電の状態でしたし、電気もつけないで。日中だったので換気用にたぶん天井をちょっと開けることができるんですけど、その明かりだけでプログラムをつくったり、体力トレーニングをさせていただいたり。そういう意味でも八戸にはお世話になりました。
そういう地で、またつくっていただけたプログラムを、この地でできたのはすごく自分にとっても感慨深いものがありました。実際に震災があって、すぐにつくったプログラムたちだったので。震災と同い年になるのかな。だからこそ、月日がどれだけ経ったのかということと、またあらためて自分自身もこのプログラムに触れることによって、皆さんに触れてもらうことによって、少しでも震災を思い出したり……。思い出して苦しんでいただくのはちょっと申し訳ないなと思いつつも、でも、それがあるからこそ今があるんだってまた思っていただけるように。そういう演技ができたらなと思って滑らせていただきました」
思い起こしたのは、11年前の羽生の姿だった
映像や写真は、11年前のアイスショーを思い起こさせた。2011年7月28日、八戸で行われたアイスショー「THE ICE」だ。
数々のスケーターが出演する中に羽生もいた。『ロミオ+ジュリエット』を演じた羽生は「グランドフィナーレ」で、他のスケーターが退いたあとも拍手が続くリンクにただ一人戻り、ジャンプを決めて喝采を浴びた。
「自分自身、被災した方々への思いがすごい強かった。その思いを演技に組み込んで伝えられました」
終演後、羽生が語った言葉だ。
東日本大震災のチャリティー公演として行なわれたショーには青森、岩手、宮城各県から、仮設住宅などで生活を送る1400名の被災者が無料招待されていた。
「初めて見ることが出来て感動しました」
「楽しかったです」
おそらくは高校生だろう、「自分も部活、がんばろう」というつぶやきも聞こえた。