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《東大出身のプロ野球選手》宮台康平の引退で球界から消滅…唯一「勝利投手」と「ホームラン」を記録したのは?「5万観衆」の大穴弾秘話 

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渋谷真

渋谷真Makoto Shibutani

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photograph byHideki Sugiyama

posted2022/10/31 11:01

《東大出身のプロ野球選手》宮台康平の引退で球界から消滅…唯一「勝利投手」と「ホームラン」を記録したのは?「5万観衆」の大穴弾秘話<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

7人目となる「東大出身のプロ野球選手」の誕生が待ち望まれている

 第1号は新治伸治(大洋)。小林至(ロッテ)、遠藤良平(日本ハム)、松家卓弘(横浜、日本ハム)と宮台を含めて5人は投手。唯一の野手が井手峻(中日)だ。新宿高で野球を始め、一浪して農学部に入学。2年秋には投手に転向している。六大学野球では通算4勝21敗、防御率3.28。有名な安田講堂事件が起こったのは、卒業して2年後のことだった。

「仕事と野球を両立させるのは無理だと思っていた。だからノンプロで野球をやる選択肢はなかった」

 三菱商事への入社が内定しており、卒業後はビジネスマンとして世界を股にかけるビジョンを描いていた。しかし、野球イコール仕事であるプロ野球から勧誘があった。人生の一大決心。「東大出身では唯一の野手」と書いたが、入団時は投手だった。1年目の9月にはリリーフで最初で最後の勝利投手になっている。この試合で2年先輩の新治と投げ合ったのも不思議な縁である。

 右肩を痛め、4年目に野手転向。俊足と好守の外野手として、試合終盤が出番だった。そんな井手が主役となったのが1973年5月5日。満員の後楽園球場で、これまた最初で最後の本塁打を放ったのだ。その日も出番は守備固め。ところがチームは逃げ切りに失敗した。追いついた巨人はそのシーズン、沢村賞に輝くことになるエースの高橋一三を投入。凡退を重ね、延長10回も二死になっていた。

「明鏡止水。雑念が全てなくなった感覚に……」

「打席に立つのはめったにない。だから膝が震えているのが捕手に見られているんじゃないのか。そんな心配をしていました。とにかく球威に負けないように待つ。だから(高橋得意の)シンカーを投げられていたら、間違いなく三振だった」

 フルカウントまで粘れたのが勝因になった。万が一シンカーを振ってくれず、四球で出塁を許せば井手の俊足は脅威になる。ストレートで十分。高橋がそう思ったのも無理はない。だが、球筋を見極めるうちに、井手も「明鏡止水。雑念が全てなくなった感覚になったのは覚えています」と準備はできつつあった。ストレートを振り抜くと、打球は左翼席まで飛んで行った。

 打点も初。当時の中日スポーツはこう報じている。「大穴!」「一瞬、目を疑う5万観衆」「野球は怖いと牧野コーチ」。敵も味方も等しく受けた衝撃の大きさを物語る。

【次ページ】 「東大野球部」ゆえのバランスの難しさ

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