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「苦しいんです」大阪桐蔭・根尾世代“あの笑顔の2番”が野球ノートに書いた苦悩…その時、西谷監督は何と返した?《大卒後は社会人野球へ》
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/10/14 11:01
2018年、史上初2度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭。あの「笑顔の2番」青地斗舞が語るあの夏の回想と今
レギュラーになりたての頃は余裕がなく、自分のことしか考えられなかった。ある日の練習でのこと。なかなかバントを決められず不貞腐れ、ヘルメットを投げつけたところをキャプテンの中川に咎められた。「自分のためにチームがあるんじゃない!」。キャプテンに諭されたことで、青地は視野を広く持つことを心掛けるようになったという。
できないプレーに執着するのではなく、できることの確率を高めた。青地にとってそれは打つこと。「攻撃的2番バッター」として役割を全うすることだった。
リードオフマンの宮﨑は、出塁すると「自己判断で盗塁してもいい」と指示を受けていたため、そこを優先して打席に立った。左バッターの青地は「スイングの始動時に宮﨑の姿が見えたらボールを見逃そう」と決め、見えなかったら打つ。その際は確実にゴロを打ちランナーを進塁させることに努め、タイミングが遅れればファウルで回避した。
「1・2番コンビ」として青地がこだわったのは、宮﨑とふたりで一、三塁のチャンスを作ることだった。エンドランでなくとも、青地がライト前にヒットを打てばそのシチュエーションを作れる。送りバントはあくまで「調子が悪い時にする」程度。青地が春夏の甲子園で記録したその数は3だったことからも、上位打線が機能していたことがわかる。
「桐蔭での3年間は本当に幸せでした」
金足農業との夏の甲子園決勝戦。1回の第1打席は、まさに理想のコンビネーションだった。相手エースの吉田輝星は、左バッターに対して「外角高めのストレートで三振を取ることが多い」という傾向があった。青地は「そこだけは手を出さないように」と打席に入り、2ストライクから外角低めの変化球をライト前にしぶとく運んだ。一、三塁と理想の形を作った大阪桐蔭は一気に3点を先取。1・2番が起点となり、主導権を掌握した。
「もう、高校野球が終わっちゃうのか……」
13-2と大量リードで迎えた9回、ライトに就いた青地は泣いていた。
2アウト。最後のバッターの打球が頭上に舞い上がる。捕球するまでの6秒間がスローモーションに思えたと、青地は言った。
史上初の2度目の春夏連覇。ウイニングボールは当然、監督の西谷に渡すつもりでいたが、気が変わった。なぜなら、アルプススタンドに挨拶した瞬間、その場で泣き崩れたキャプテンの中川に渡そうと決めたからだった。
「自分を怒ってくれたように、中川は心を鬼にしてチームのためにやってくれて。『ホンマに大変やったんやな』って思ったんで」
優勝インタビューが終わり、ベンチ前に戻ってきたキャプテンにそっと白球を渡す。
「ありがとう」
青い空と白い雲に祝福された歓喜。青地はその光景を思い出すように、トレードマークの笑顔に幸福感をにじませていた。
「桐蔭での3年間は本当に幸せでした」