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大仁田厚と流血激闘、TVジョッキーでバット折り“空手着のプロレスラー”青柳館長、65歳で逝く…あの「アシャシャシャシャ~」を忘れない 

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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photograph byEssei Hara

posted2022/07/09 06:01

大仁田厚と流血激闘、TVジョッキーでバット折り“空手着のプロレスラー”青柳館長、65歳で逝く…あの「アシャシャシャシャ~」を忘れない<Number Web> photograph by Essei Hara

大仁田厚との激闘など、印象的なバトルを繰り広げた青柳政司。プロレスと空手の両輪で活躍した稀有なレスラーだった

 空手家の演舞といえば、凄さや怖さを体現するイメージだったが、青柳館長はちょっとした宴会やパーティーなどでも、わりとカジュアルに秘技「バット折り」を披露。若き日に1970年代の人気番組「TVジョッキー」(日本テレビ)の「奇人変人コーナー」に出演して、バット折りを披露して番組名物の白いギターをもらって帰ってきたなんて武勇伝を語っていたものだ。

 そんな青柳館長、維震軍が自主興行を行うまでに存在感を増した頃には、またもや自ら離脱。新格闘プロレスの旗揚げに参加した。旗揚げ会見にて、「これが我ら新格闘プロレスのロゴマークです!」と、胸を張りつつロゴマークが描かれた旗をバッと広げてくれたのだが、そこに描かれた文字は「PRO WRESLING」。正しくは「PRO WRESTLING」だ。「T」が抜けている……。

 思わず「館長、レスリングのスペルが違ってますよ」と指摘すると、「あっ、やっちまった……」と照れ笑いしつつ、コソコソと旗を畳んだのだった。

WWFマニアツアーでは刀がすっぽ抜け

 そんなオッチョコチョイな一面が大舞台にて発揮されたのが、新格闘プロレスをフェードアウトした直後に参加したWWF(現・WWE)のマニアツアーだった。ツアー初日の横浜アリーナ大会(94年5月7日)で、カルガリーの天才児と謳われたオーエン・ハートと一騎打ちを行う青柳館長は久々の大舞台に張り切っていた。

 日本刀を手に入場した館長は、オリエンタルムード満載でオーエンの前に立つ。リングアナから自身の名前がコールされると同時に気合一閃、居合抜きを披露したのだが、見事に刀がすっぽ抜けてしまい、「ロケッ刀」と化した抜き身がオーエンの目の前に飛んでいくというアクシデント。物騒極まりないパフォーマンスに目を丸くしていたオーエンは6分少々、シャープシューター(サソリ固め)で館長を仕留めて勝利していた。

 思わぬ演出上のアクシデントに、試合後の館長は「参った参った。冷や汗が出たよ~」と恐縮することしきり。あの時はこちらも大笑いしたものだが、5年後(99年5月23日)に、そんなオーエン(ブルー・ブレイザー)が同じく演出上の事故(リング上空から登場するも、ワイヤーが外れて地面に転落=ミズーリ州カンザスシティのWWF興行)で死去したことを考えると胸が痛む。

 青柳館長はその後もノアを始め、さまざまな団体で「空手着のプロレスラー」として活躍し続け、本業たる空手の道でも後進を育成し続けた。今も周囲を鼓舞するかのような「アシャシャシャシャ~。おい、アキトシ行くぞ~っ!」という、館長独特の明るい掛け声が忘れられない。合掌。

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