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“プロレス業界初の死亡事故”から25年…キューティー鈴木が明かす、盟友が亡くなった日「麻里ちゃんは起きてくると思っていた」
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/05/19 17:02
話題を呼んだ尾崎魔弓との写真集の裏側や、故・プラム麻里子さんへの思いを明かしたキューティー鈴木
「絶対にリングの上で死んではいけないと思いました」
――親友の死は、その後の選手生活にどんな影響を与えましたか。
キューティー プロレスラーになれたばかりのころはよく、「リングの上なら死んでもいい」なんて言ってたけど、絶対にリングの上で死んではいけないと思いました。もちろん、亡くなった本人がいちばんつらいんだけど、仲間や麻里ちゃんの親を見たとき、「死」を軽々しく言葉に出してはいけないなと思いました。
――このリング禍で、引退の時期が少し延びたのかなぁと思いましたが。
キューティー たしかに、もう少し残って下の子たちを育てて、選手層を厚くしないといけないと思ったけど、キューティー鈴木は20代で終わらせたかったので、29歳で引退しました。そこは揺るぎなく。
――引退、結婚後は芸能界にこだわりなく、専業主婦になったのが“らしい美学”だなぁと。
キューティー 16歳から普通の世界を知らないまま来てしまったので、味わってみたいというのがあって、結婚したときには専業主婦になりたいと。子どもが産まれたらそばにいたかったから、働くというのは頭になかったです。同じママたちと同じような生活、スーパーの安売りも楽しいですし、普通の生活が自分には合ってたのかなぁと。
「尾崎なら今の女子プロレスを変えられる」
――尾崎選手はまだ現役で、団体の代表でもあります。
キューティー 同期でいちばん最後まで残るなんて思ってなかった。私なんてちょこっと運動しただけで全身筋肉痛になるのに、まだやってるし、動けてるし、走ってる。
――ちなみにですけど、深夜番組は観ます?
キューティー あーっ、何回か観た! 中居(正広)くんのでしょ(※尾崎は今年3月までTBS系「中居大輔と本田翼と夜な夜なラブ子さん」に準レギュラー出演していた)。何も知らなくて観てたら出てきたんで、笑いました。下の子も、「まーみーだぁ」なんて言って。
――親友が元SMAPの共演者になったなんて、すごいことだと思いませんか?
キューティー ぜんぜん緊張しないで、普通のままでいられて、それでもちゃんと「尾崎魔弓」というものを残して番組が成り立っていたので、それがすごいなぁと思いましたね。私なら、言いたいことの半分も言えないまま番組が終わってしまうだろうな。プロレスラーとしての尾崎は、人を育てるのが上手だし、人を引きつける魅力がある。彼女なら、今の女子プロレスを変えられるんじゃないかなと思いますよ。
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