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川辺駿26歳が語る“プレミア移籍”の真相「実は練習参加の前から…」森保ジャパン4-3-3にハマる新戦力候補《今季スイス1部で6ゴール》 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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posted2022/04/01 11:04

川辺駿26歳が語る“プレミア移籍”の真相「実は練習参加の前から…」森保ジャパン4-3-3にハマる新戦力候補《今季スイス1部で6ゴール》<Number Web> photograph by freshfocus/AFLO

昨年夏に加入したグラスホッパー(スイス1部)での活躍が認められ、1月にプレミアリーグのウルブスへの移籍を発表したMF川辺駿。今季の残りはスイスでのプレーを選択した

 シーズンの半分が過ぎる頃、川辺に思わぬサプライズがもたらされた。

 プレミアリーグで現在8位につけるウルブスから獲得オファーが届いたのだ。 

 グラスホッパーとウルブスは同じオーナーが所有する提携クラブである。

 とはいえ、グラスホッパーからオファーがあった際、川辺サイドは将来のウルブス入りを意識していたわけではなく、クラブ側もそうしたステップアップを匂わせていたわけではない。つまり、純粋に川辺が結果を出して実力で引き寄せたオファーだった。

 スイスリーグがウインターブレイクに入った22年1月、ウルブスの練習に参加する機会を得ると、チームに合流した直後の1月5日、ウルブスと3年半の契約を結んだことが発表された。

 だが実は、練習参加以前に契約することが決まっていたという。

「12月の段階で話をいただいて。だから練習参加の様子を見て、というわけではないんです。個人的にはプレミアリーグでプレーするのが夢だったので『まさか欧州に来て半年で』って驚きましたけど、見てもらえていたことが嬉しかったです。ウルブスはトレーニング場が素晴らしく、選手のクオリティもスイスよりレベルが高い。FAカップのシェフィールド・ユナイテッド戦と、プレミアリーグのサウサンプトン戦を見たんですけど、スタジアムの雰囲気も最高でしたし、一緒に練習をした選手たち、自分がお手本にしないといけないルベン・ネベスやダニエル・ポデンスのプレーを生で見て、すごく刺激を受けました」

 目の前に広がるのは、夢の舞台である。早くこのピッチでプレーしたいという衝動に駆られるのは当然のことだろう。

 しかし、川辺はこの冬、プレミアリーグには行かなかった。

 ウォルバーハンプトンと契約したうえで、期限付き移籍でグラスホッパーにとどまり、少なくとも今シーズンが終わるまではスイスリーグでプレーする道を選んだ。

「ヨーロッパでのプレー時間はまだまだ少ないし、半年ですぐに環境を変えるのではなく、1シーズン試合に出続けることがメンタル的にも、コンディション的にも、成長を考えても大事だと思ったんです。もちろん、グラスホッパーで試合出場が確約されているわけではない。その競争に勝って、経験と力を付けてからプレミアにチャレンジしようって」

 こうした決断に至ったのは、川辺が未知なる世界に怖気付いたからではない。焦らずに一歩一歩ステップを踏んでいくことがいかに大事か、身をもって知っているからだ。

大先輩・青山敏弘の言葉

 広島からスイスに旅立つ前のことだ。広島のバンディエラであり、ボランチでコンビを組んだ大先輩である青山敏弘と食事をした際、川辺はこんな言葉をかけられた。

「駿の良かった時期も、なかなか試合に絡めなかった時期も知っているけど、そのすべてが駿にとって必要だったよね」

 まさに、青山の言うとおりだった。

 広島のアカデミーから昇格したばかりの頃、森保監督が指揮を執っていたトップチームではまったく試合に出られなかった。

 出場機会を求めて期限付き移籍した磐田では名波浩監督に評価され、トップ下やボランチとしてコンスタントに試合出場を重ねた。

 自信を膨らませて広島に復帰したものの、城福浩監督からは守備面の脆さを指摘され、ベンチスタートや不慣れなサイドハーフでのプレーを余儀なくされた。

 困惑したこともあった。焦りを覚えることもあった。それでも、指揮官に認められるべく、少しずつハードワークを身につけた川辺に2020年、ふたつの転機が訪れた。

 背番号8の継承と、ボランチのレギュラーポジションの獲得――。

 前年限りでクラブのレジェンドである森崎和幸が引退し、その代名詞の番号を引き継ぐことになる。さらに、ボランチのレギュラーだった稲垣祥が移籍したことで、青山のパートナーを担うことになった。

「大事な番号を背負うという責任感が自分をこれだけ成長させてくれるとは思ってなかったし、ゴロウくん(稲垣)が移籍して守備面が弱くなったと思われたくなくて、ゴロウくんに負けないくらいボールを奪おうと思った。アオくん(青山)も言っていたように、磐田と広島で、良いこともあれば、悪いこともあった。その両方を経験してからこっちに来たので、全部が繋がっていると感じます」

 そして、川辺はこう言うのだ。

「26歳直前での移籍だったから、一般的に見れば遅いかも知れないですし、移籍会見で『ラストチャンス』と言いましたけど、自分にとっては最高のタイミングでの移籍だったなって」

チームの勝敗を背負えるか

 川辺の現状を見て思い出すのは、ベルギーのシント=トロイデンの立石敬之CEOの言葉である。日本人が欧州で羽ばたくための足がかりとなるよう、選手を次々と獲得してきた立石は、日本人選手の成功の要因として、こんなことを話していた。

「大事なのは、その時々で自分の成長に合う場所をしっかり選べるかどうか。背伸びをして出場機会を得られなければ意味がない。それに若くしてヨーロッパに来ればいい、というわけでもない。Jクラブでレギュラーとして活躍して、チームを背負う、勝敗の責任を負う経験を積んだ選手のほうが自立しているので、こっちで活躍する可能性が高い」

 だとすると、川辺がスイスで結果を出せているのは、選んだチームが良かったこともさることながら、チームの勝敗を背負える成熟したフットボーラーだったからだろう。

【次ページ】 日本代表「もちろん、ピッチに立ちたい」

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