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中村俊輔はサンプドリアに入るはずだった? 名波浩や柳沢敦獲得の敏腕は今やインテル復活の立役者 <新たな日本人発掘目指すSDも>

posted2022/02/01 17:00

 
中村俊輔はサンプドリアに入るはずだった? 名波浩や柳沢敦獲得の敏腕は今やインテル復活の立役者 <新たな日本人発掘目指すSDも><Number Web> photograph by AFLO

2003年にサンプドリアに移籍した柳沢敦。日本人のセリエA挑戦には敏腕ディレクターの存在があった

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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 日本代表DF吉田麻也が在籍するサンプドリアには、かつて名うての敏腕フロントがいた。今季、スクデット連覇を目指すインテルのCEO兼ゼネラルディレクターの、ジュゼッペ・マロッタがその人だ。

 昨季、戦力強化と人件費管理のスペシャリストとして、インテルに11年ぶりのセリエA優勝をもたらした功労者マロッタは、18年まで8年勤めたユベントスで黄金時代を築いたことでも知られる。

 国内の同業者団体である全国スポーツディレクター協会の会長も務める彼は、数多いる“スポーツ業界ビジネスマン”の頂点に立つ男なのだ。

 だが、約45年にも及ぶ彼のキャリアが、日本と不思議な縁で結ばれてきたことはあまり知られていない。

柳沢のほかに小笠原、三都主の名前も

「移籍交渉はうるさい代理人や家族の介入のなかった昔の方が、はるかに真剣味があった。多くの移籍はディナーの席で決まったものだ。難しい交渉相手もワインが一杯余計に進めば、首を縦にふってくれた」

 99年夏、FW三浦知良、MF中田英寿に続く第三の日本人としてMF名波浩がベネツィアにやってきた。獲得のゴーサインを出したのは、当時42歳でベネツィアのGD(ゼネラル・ディレクター)を務めていたマロッタだ。

 サッカーの世界で、選手としてではなく仕事人として上り詰めたい。マロッタの野心ははっきりしていた。

 ベネツィアのGDとしてセリエAに初めて挑んだ1999-2000シーズン、チームはあえなく降格。自身も辞任の憂き目に遭ったが、マロッタは日本への望みを捨てなかった。

 アタランタを経て02年に転職したサンプドリアでは、翌年にFW柳沢敦を招いた。このときマロッタの補強候補リストにはMF小笠原満男、MF三都主アレサンドロの名もあったとされる。

中村俊輔はサンプドリアのユニフォームを着るはずだった

 2003年、柳沢の入団発表会見はジェノバの最高級ホテル『スターホテル・プレジデント』を借り切って大々的に行われた。これは前年に昇格組レッジーナが獲得し、フィーバーを起こしていたMF中村俊輔を意識していなかったといえば嘘になるだろう。

 実は20年前、中村がセリエAに初挑戦した02-03シーズン、彼は本当はレッジーナの深紅色ではなく、青いサンプドリアのユニフォームを着るはずだった。

【次ページ】 移籍市場の分岐点はウディネーゼのジーコ獲得に

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