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巨人の育成契約を断った山下航汰は社会人野球へ…プロ野球「支配下70人枠」は必要か?「不公平論」vs原監督「枠なんていらない」
posted2022/01/07 17:05
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Sankei Shimbun
昨オフの選手の去就の中で、注目を集めた1人が元巨人の山下航汰外野手だった。
山下は高崎健大高崎高校から2018年の育成ドラフト1位で巨人に入団。守備面での難はあったが、非凡な打撃センスは早くから首脳陣の注目を集め、1年目の19年7月に支配下登録されると、8月には一軍昇格を果たしてプロ初安打もマークした。最終的にもファームで打率3割3分2厘を記録して、いきなり首位打者を獲得した逸材だ。
しかしコロナ禍の中でのシーズンとなった20年は開幕直前の打撃練習で右手有鈎骨を骨折。手術から復帰後もヒジ痛に悩まされるなど故障に苦しみ、同年12月には自由契約となり、改めて育成契約となった。そして迎えた昨シーズンは三軍戦では打率3割6分6厘と結果を残したものの、二軍で21試合に出場して打率2割2分6厘と低迷。球団から翌22年も育成契約を打診されたが、本人が他球団での支配下契約を求めて退団を決断したのだった。
NPBのチームから声がかからず、社会人野球へ
「リスクは承知で自分で決めた」
巨人退団に際してこう語った山下だったが、本人の決意とは裏腹に自由契約となっても獲得に動く球団はなかった。そして最後のチャンスだった合同トライアウト後も、山下獲得に名乗りを上げるNPBのチームはなかった。
そんな山下に声をかけたのが社会人野球の強豪・三菱重工Eastだったのである。
もちろん山下本人はプロ野球で支配選手として活躍する夢を諦めた訳ではない。そのNPB復帰の夢を果たすためにも、声をかけてくれた三菱重工Eastでどれだけ活躍できるかが大きなポイントになるのは分かっている。逆に言えば、NPB復帰を実現できるようになることが、恩義あるこのチームへの山下の一番の恩返しとなる。
そんな気持ちで22年の山下は、新天地での新たな選手生活をスタートさせることになった訳だ。
これは山下航汰という1人の野球選手のリスタートの物語である。
ただ、その1人の選手の物語の背景には、実は現在のNPBが抱えている、1つの大きな問題が潜んでもいる。