Number ExBACK NUMBER
《箱根のダークホース》東京国際大の“初代主将”が明かす創部1年目の秘話「練習は野球場の周りのアスファルトの上をグルグル」
posted2021/12/31 11:03
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
Yuki Suenaga
華々しい実績と比べて、創部の歴史は驚くほど浅い。
今や箱根駅伝の常連校で、今季の出雲駅伝を初出場初優勝で飾った東京国際大だが、駅伝部ができたのはわずか10年前のことである。
2011年度の入学式当日、駅伝部を作ったばかりの大志田秀次監督が、校内放送で新入部員を募ったのは駅伝ファンにはよく知られたエピソードだろう。
その呼びかけに応じて、集まった部員はたったの4人だった(内1人は女子マネージャー)。そこから漫画のような驚くべき成長譚を描いて今に至るのだが、その黎明期についてはあまり知られていないのではないか。
駅伝部の扉をノックしたが「入りたいとかではなくて…」
まさに創部当時のドタバタを、誰よりもよく知るのが池田大樹さんだ。現在は一般企業で働くサラリーマンだが、彼こそはあの放送を聞いて、駅伝部の扉をノックした4人のうちの1人だった。
「校内放送は覚えてますよ。確か、監督自らが呼びかけてました。入学式の当日に業務連絡の一環として聞いたんだと思います」
池田さんは小学生の時に陸上を始め、中学、高校と陸上部に所属していた。高校では長距離種目に取り組んでいたが、5000mの記録は15分28秒程度で、大学で通用するとは思っていなかった。そのため大学では趣味でランニングを楽しもうと考えていて、校内放送につられたのもこんな理由からだった。
「ちょっとグラウンドを貸してもらえたらなって。入りたいとかではなくて、そんなことが可能かどうかを聞きにいったんです」
グラウンドも寮もなし…アスファルトで練習した
すると、大志田監督から予期せぬ言葉が返ってきた。もう一人経験者が入部してくれたけど、タイムは同じくらいだ。良い練習相手になるし、ぜひ君も入部して欲しいと。そう言われれば、池田さんに断る理由はなかった。そこから部員3人のみの練習が始まった。
「まだグラウンドもできていなかったので、野球場の周りのアスファルトの上をグルグル回ってました。当時はまだ珍しかったと思うんですけど、心拍計を胸につけさせられて、140から160の間で走るように言われてましたね。他の2人がわりとケガをしがちだったので、120分とかひたすら長い時間を1人で走ってました」
東国大と言えば整った練習環境で知られるが、創部1年目はグラウンドはおろか、専用の寮すらなかった。ないない尽くしだったあの頃の思い出を、池田さんが懐かしそうに振り返る。
「初めての夏合宿は白馬でしたね。監督が中央大のコーチを長く務めていた縁で、中央大のCチーム合宿に僕も同行させてもらったんです。13人くらいいる中で、僕だけ1人違うユニフォームを着て走ってました(笑)。でも、Cチームだから同じ1年生が多くて、意外と楽しかった記憶があります」