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《箱根のダークホース》東京国際大の“初代主将”が明かす創部1年目の秘話「練習は野球場の周りのアスファルトの上をグルグル」 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byYuki Suenaga

posted2021/12/31 11:03

《箱根のダークホース》東京国際大の“初代主将”が明かす創部1年目の秘話「練習は野球場の周りのアスファルトの上をグルグル」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

東京国際大学駅伝部の創設メンバーで初代主将を務めた池田大樹さん

東京国際大“初代主将”が感じた限界

 日々の努力はタイムとなって現れる。タイムで優劣がはっきりするため、そこで上を目指す者と諦める者とで線がクッキリと引かれてしまう。池田さんは初代主将を引き受けたが、3年生の頃になると自分の限界が見えてきたと話す。

「2年目までは主力で、予選会でもチーム上位で走ってます。でも、3年目に入ったくらいから部の競争意識が高くなって、僕の後に主将を務めた関(竜大)たちが伸びてきた。監督は優しいですけど、線引きについてはシビアで、『就職を目指す者は早くその活動をした方が良いよ』ってはっきり言いますね。温情で4年生を走らせることはないです。ただ、それは監督の優しさでもあって、退部した学生の進路まで気にするような人ですから」

 創部2年目で初めて出場した箱根の予選会で東国大は21位だった。その後、17位、13位と徐々に順位を上げていく。池田さんは4年生になるのを前にして部を退くが、その年の13位という結果がチームを変える大きな節目だったと振り返る。

「自分はもう現役じゃなくて傍観者になってましたけど、途中で予選突破圏内の10位以内を走っていたんですよ。もしかしたら(箱根に)行けるんじゃないかと思えたのがすごく大きかった。最後に力尽きて13位でしたけど、走った3年生が次の年はけっこう残ったんですよね。それまでは就職のために早く部を辞めていたのが、やっぱりもう1年やりたいと。青山学院の練習に参加させてもらったりしたのは確かその年です。監督も後輩たちも本気で行けると思えた。その結果が翌年の予選会だったんでしょうね」

わずか3人のスタートから、今や優勝候補の一角に

 池田さんが大学を卒業した年、東国大は悲願の箱根駅伝初出場を決めた。創部時に大志田監督が目標として掲げた「5年で箱根駅伝出場」というプランを見事に完遂した瞬間だった。

「本戦は沿道まで見にいきました。辞めた部員と6人くらいで、10区を走っている後輩の小針(旭人)に声をかけて、ついでに監督車に向かっても『大志田ー』って叫びましたね(笑)。嬉しかったですよ。最初に僕が5年で箱根に行くと聞いた時は、何言ってんのって感じでしたから」

 予選会に出場することすら叶わないわずか3人の部員から始まった駅伝部が、今や箱根の優勝候補の一角に挙げられるまでに成長した。母校の成長ぶりを池田さんはどう見ているのだろう。

「自分がいたチームとは思えません。言ってみれば、推しのチームを応援するような気持ちですね。自分がいた頃とは練習環境も変わったし、今や自前のクロカンコースもあって、低酸素ルームまで備えている。後輩に聞きましたけど、寮の食事も業者が変わって昔より美味しくなったそうです(笑)」

 池田さんは卒業した後も、ランニングを趣味で続けている。フルマラソンのベストタイムは2時間23分ちょうど。市民ランナーとしては相当なレベルだ。強豪校の礎を築いた自負はあるかとの問いには、笑ってこう答えた。

「なり手がいなかったがゆえの初代キャプテンですから。強くなってくれた母校に感謝しているのは自分の方です」

 発売中のNumber「箱根駅伝 エースにつなげ!」では、大志田監督の下で急成長を遂げた東京国際大の10年を辿る「未来を見せる大志田マジック」も掲載。最強留学生と謳われるイェゴン・ヴィンセント、日本人エースの丹所健を擁する現在に繋がるチーム作りの方法論を紐解きます。

 大迫傑と田澤廉の巻頭スペシャル対談「絶対エースは箱根を越えて」、大八木弘明や原晋ら名将が語るエース哲学のほか、別冊付録もエントリー336名を反映させた選手名鑑や、柏原竜二さん、神野大地さんらも寄稿してくれた「通が教える“僕だけの観戦法”」、出場20大学の全主務が教えてくれた「我が校のいぶし銀エースを見よ!」など充実の内容。

 箱根駅伝のテレビ観戦の“相棒”としてお楽しみください。

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