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《箱根のダークホース》東京国際大の“初代主将”が明かす創部1年目の秘話「練習は野球場の周りのアスファルトの上をグルグル」 

text by

小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byYuki Suenaga

posted2021/12/31 11:03

《箱根のダークホース》東京国際大の“初代主将”が明かす創部1年目の秘話「練習は野球場の周りのアスファルトの上をグルグル」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

東京国際大学駅伝部の創設メンバーで初代主将を務めた池田大樹さん

中大の直前合宿で感じた“箱根駅伝の厳しさ”

 百聞は一見にしかずで、監督としてはなるべく早く、強いチームの雰囲気を肌で感じて欲しかったのだろう。当時、中大は箱根駅伝の常連校で、戦力も充実していた。

「1年目は中大の箱根の直前合宿にも参加させてもらいました。12月下旬のメンバー発表の時も、僕ともう一人が東京国際のユニフォームを着て参加していて、ちょうど夏合宿でお世話になった4年生の方が落選した場面を目撃したんです。その方は2、3年生で箱根を走っていたんですけど、4年生の時に教育実習で抜けることがあったから、それが理由だったのかもしれません。ああ、箱根を目指すってこんなに厳しいんだなって。ひと言も声をかけられなかったです」

 箱根駅伝に出場することがどれほど難しいことか。池田さんはそこで身をもって体験した。地道な走り込み、そしてこうした経験が力になったのだろう。池田さんの記録は高校時と比べてぐんと伸びた。そして、学年が上がって2年生になると、監督が全国を飛び回って獲得してきた特待生が27人も一挙に入部してきた。

「最初はその数に驚きましたけど、意外に走りでは負けなかったです。14分台(の自己ベスト)を持っている選手が多かったけど、本当にそのタイムで走っているの?と思うぐらいでした」

 しかし、例外が1人いた。留学生のルウル・ゲブラシラシエだ。箱根の予選会を通過するための秘密兵器として、また国際大学の特色を生かす戦略として、監督が探してきたエチオピアからの留学生だった。彼は後にマラソンで2時間4分2秒の記録を出すほど桁違いの実力の持ち主だった。

「よく覚えているのは入部してきてすぐの記録会。来日して1週間ジョギングしかしてなかったのに、いきなり13分半くらいの記録で走ったんです。レース結果を見ようとツイッターで検索してたら、あれ勝ったのうちの選手じゃんって(笑)。大迫(傑)さんにも勝ってたので、あれにはびっくりしました」

「パチンコで門限を破った部員は部から追放されていました」

 1年目の秋にグラウンドが完成し、2年目の冬には待望の駅伝部専用の寮ができた。食事が提供される食堂を完備していて、部屋数もあふれるくらい多かった。ただし、すぐ近くにコンビニがあり、当時はまだそこで買い食いする部員も多かったという。

「監督は基本すごく優しいんですけど、コンビニで部員がカップラーメンを買っているのを見たときはめずらしく怒ってましたね。お菓子を食べたり、お酒を飲んだり、まだ意識も低くて。パチンコで門限を破った部員は部から追放されていました」

 チームの雰囲気が少しずつ変わっていったのは2年目の夏あたりからだったと記憶している。努力する選手にはアメを、サボる選手にはムチを、と監督が選手選考の基準を明確にしたのだ。

「2年目の夏合宿は北海道でした。実業団のエリートチームが行くような場所に、僕らが行っていいのかなって。しかも20(はつか)日間の予定でしたから、僕は思わず8(はち)日ですかって聞き返したくらいです。ただ、連れて行ってもらえるのはしっかり練習ができている20人だけ。そこから秋の予選会に出場する12人を選ぶと言われて、部員の目の色が変わったのを覚えてます」

【次ページ】 東京国際大“初代主将”が感じた限界

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