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慶應プロレス研究会“唯一の女子学生レスラー”無村架純が“男子相手”に闘う理由「木村花さんみたいに」《特別フォトインタビュー》 

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門間雄介

門間雄介Yusuke Monma

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2021/12/27 11:02

慶應プロレス研究会“唯一の女子学生レスラー”無村架純が“男子相手”に闘う理由「木村花さんみたいに」《特別フォトインタビュー》<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

慶應プロレス研究会に所属し、“唯一の女子レスラー”として活動する無村架純

木村花に魅了され、衝動的に学生プロレスの道へ

 慶應大学では法学部2年に在籍する彼女に、格闘技の経験があったわけでも、これというスポーツ歴があったわけでもない。

 最初の緊急事態宣言が発出された2020年春、新入生だった彼女はキャンパスが閉鎖されてしまったため、SNSを通じて自分の趣味や興味にかなうサークルを探していた。法律、アイドル、クイズ、それにプロレスだ。

 初めてプロレスを観たのは高校生のときだった。

「ケーブルテレビで木村花さんを観たのが最初です。ビジュアルが素敵だったし、プリキュアみたいだなと思って、そこからスターダムを観るようになりました。大学では趣味に合うことをしたかったので、アイドルやクイズ、あとプロレスを候補に入れて探していたら、あ、本当にあったって。たまたまプロレス研究会を見つけたんです」

 彼女はほとんど衝動的にKWAに入会し、メンバー同士のLINEグループにも名を連ねた。しかし実際の活動に参加することはしばらくなかった。というのもプライベートで深刻な問題が起き、その間、身動きの取れない状態に追いやられていたからだ。

「お付き合いしていた人とごたごたがあったんです(笑)。だから半年以上はLINEグループに幽霊会員として存在していました。勢いで入ったものの、溶け込めなかったんだなとみんなには思われてたみたいです。ごたごたが落ち着いてから、実質的に活動を始めました」

「5年に1回は本物の変わり者がやってくる」

 春学期の間はオンラインのみだった授業が、秋学期になり、一部とはいえ対面形式で再開された。SNS上でやりとりするだけだったKWAのメンバーとも、そのころ初めて練習場で顔を合わせた。

 新人はKWAの終身名誉顧問、ハヤブシから技や受け身を教わる。「KWAには5年に1度くらいの周期で女子選手が入ってくるんです」。KWAの歴史を見てきた、1978年生まれのOBハヤブシは言う。

「女子選手を狙ってこちらから勧誘するわけじゃないですからね。5年に1回はそういう本物の変わり者がやってくるんです」

 最初に教わる技はボディスラム。体重のはるかに重い男子選手と組み合わなければならないので、彼女は四苦八苦した。だが練習後、学年や年齢を問わず打ち解ける雰囲気は新鮮で楽しく、すぐに彼らと仲よくなった。

自分で考えたリングネーム

 学生プロレスの売りのひとつが、下ネタを強調したり、著名人の名前をもじったりしたリングネームだ。

 ひどく下らないものから、きわめて秀逸なものまで(ちなみに近年で最も胸を打たれたリングネームにあそこ永井というものがある)、それはどの学生プロレス団体でも上級生によって命名されるケースが多いと聞く。

 KWAではLINEのノートに候補が書き込まれ、そこから当該選手が選んだり、あるいはみずから提案したりするのだが、彼女は自分で考えた。

 すぐにリングネームを付けたので、本名で呼ばれた記憶があまりない。

「リングネームのほうがなんか心地いいです。みんなリングネームで呼び合うし、本名を知らない人もなかにはいますね」

 そのときから彼女は無村架純になった。

【次ページ】 プライベートな事情を切り売りし、恥部や性癖までネタに

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