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松坂大輔41歳が振り返る“何度ものケガとどう向き合ってきたか?”「10年前トミー・ジョン手術でメスを入れたら…ヒジの靭帯が無かった」
posted2021/11/30 11:00
text by
吉井妙子Taeko Yoshii
photograph by
Shigeki Yamamoto
野球人生の後半は度重なる手術やケガで満身創痍の中、「ボロボロになるまで」投げ続けた。多くのケガを経験してきたからこそ、松坂は今アスリートのケガと治療に興味を持っていると話す。そこで再生医療の分野で躍進を遂げるセルソース社長の裙本理人さんと対談を行った(全3回の1回目/#2、#3へ)。
――アスリートは常にケガと背中合わせ。松坂大輔さんは23年の現役生活の中で13年間はケガと戦ってきました。最近はスポーツ障害の治療にPRP(多血小板血漿)治療や脂肪幹細胞治療などの再生医療が注目されています。そこで再生医療の分野で躍進を遂げるセルソース社長の裙本理人さんと松坂さんに、アスリートのケガと治療の最前線についてお話しいただきたいと思います。
松坂 裙本さんにお会いできるのを楽しみにしていたんですよ。実は僕、米国にいたときからPRP治療を受けていたし、最近はセルソースが加工受託しているPFC-FD(PRPの成長因子の濃度を高め、無細胞化とフリーズドライの処置を施したもの)を用いた治療を受けたばかりなんです。ですから、再生医療のことをもっと詳しくお聞きしたいと思いまして。
裙本 僕も松坂さんにはいつかお会いしたいと願っていました。僕は松坂さんより2歳下ですが、僕らの年代にとって松坂世代は憧れですからね。僕の周りを見ても、松坂世代の人たちは多くの競技で活躍しているので、その“本家”はどんな方なんだろうと興味津々でした。
松坂 裙本さんは大学まで剣道をやっていたとか。そして今はトライアスロンの国際大会にも出場しているそうですね。
裙本 松坂さんの前でスポーツを語るのは身が縮まる思いですが……。剣道は5歳から始めて大学では主将をやっていました。社会人になってからトライアスロンを始めました。陸上競技もやっていて、一昨年のマスターズアジア大会M35(35歳以上)の400mリレーではチームで金メダルを獲得しました。
松坂 バリバリのアスリートじゃないですか!
裙本 いや、いや、松坂さんの前で自分のスポーツ歴を話すのはもうホント、恥ずかしいです……。
松坂 僕もいつかトライアスロンやってみたい。自転車は競輪の選手と一緒に練習したこともあるし、泳ぎは止められるまで泳いでいられる。あ、でもマラソンは嫌だなあ……。走り込みは毎回嫌々やっていましたからね(笑)。
裙本 野球の選手ってスパイクを履いて走るじゃないですか。あれ、膝によくないと思うのですが、意味があるのですか。
松坂 僕らは実戦でスパイクを履くのでそれに慣らしておくという感じですかね。スパイクを履いて強化するという意識はないです。
松坂「引退試合直後の10月下旬にヒザの手術をして…」
裙本 松坂さんは13年間もケガと戦ってきたと伺っていますが、PRP治療を初めて受けたのはいつ頃ですか。