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《マイルCS》藤沢和雄師が28年前のGI初制覇前に取った“まさかの行動”とは? シンコウラブリイからグランアレグリアまで変わらない信念 

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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photograph bySankei Shinbun

posted2021/11/19 11:01

《マイルCS》藤沢和雄師が28年前のGI初制覇前に取った“まさかの行動”とは? シンコウラブリイからグランアレグリアまで変わらない信念<Number Web> photograph by Sankei Shinbun

1993年のマイルチャンピオンシップを制したシンコウラブリイ

休養中のシンコウラブリイに取った“まさかの行動”

 このように将来に目処が立ったと思わせたシンコウラブリイに対し、藤沢和調教師はこの後、面白い行動に出る。11月に行われたこのマイルチャンピオンシップから翌年4月の京王杯スプリングC(GII)まで休養となったシンコウラブリイだが、この間、若き日の藤沢和調教師は同馬を放牧に出さなかった。美浦トレセンの自らの厩舎に置きっぱなしにして調整したのだ。

「当時は今と違い、私自身の預かる馬が沢山いるわけではなかったから出来た芸当です。マイルチャンピオンシップの後に少し歩様が乱れたため、いつでも見られるところに置いておきたかったのです」

 4歳になって戦列に復帰したシンコウラブリイは復帰戦の京王杯スプリングCを2着した後、安田記念(GI)ではヤマニンゼファー、イクノディクタスに続く3着。札幌日経オープンを快勝すると夏休みに入り、秋には毎日王冠(GII)、スワンS(GII)を連勝した後、ラストランとなるマイルチャンピオンシップに挑戦した。

異例だった秋3走、春3走ローテを貫き通した

 ここまでの戦歴を今一度振り返っていただければ分かるのだが、2歳秋のデビューから4歳秋のラストランまで、秋シーズン3走、春シーズン3走という臨戦過程を5シーズンにわたり藤沢和調教師は貫き通した。現在でこそ一流馬がこのような使い方をされるのは珍しくないが、そのハシリと言えるのがシンコウラブリイだったのは、オールドファンなら誰もが知るところだろう。

「シンコウラブリイは外国産まれの馬でした。いわゆるマル外と呼ばれる立場で、当時はクラシックレースに出走する権利がないなど出走出来るレースが限られていました。そんな事もあって使えるレースが絞られたのですが、シンコウラブリイのようなタイプの馬にはかえって良かったと思い、無理使いを避けました」

 では、伯楽の言う“シンコウラブリイのようなタイプの馬”とはどんな馬だったのか。指揮官は続ける。

「ラブリイのお母さんのハッピートレイルズという馬は現役時代、かなり気性面で難しい馬だったそうです。放馬して他の厩舎の馬房に入り、飼い葉を食べていたなんてエピソードもある馬でした。ラブリイもそんな血を引いていると思わせる難しさがあったのは事実です。女の子らしく調教が進むと飼い食いが細くなるような面もありました。だから1シーズンで走らせる回数を絞ったのは、この馬を気分良く走らせるという意味では正解だったと思うのです」

 そんな采配のお陰もあって、雨で不良馬場となったラストランでも無事に大団円を迎える事が出来たのだ。

 ちなみに藤沢和調教師は後にロードクロノスやレディミューズ、トレジャーといったシンコウラブリイの産駒も多く手掛けたが、いずれにも似たような一面があったそうだ。

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