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「実業団優勝よりも箱根駅伝出場の方がスゲー!って言われます」18年前“花の2区で12人抜き”尾田賢典は今、何してる?
text by
酒井政人Masato Sakai
photograph byMasato Sakai
posted2021/10/27 11:02
関東学院大学4年時に花の2区で12人抜きを演じている尾田賢典さん
関東学院大では1年時からチームの主力として頼りにされた尾田くん。箱根駅伝予選会では4年連続で好走を見せているが、これも弱小校ならではといえるだろう。
当時の関東学院大は選手層が薄く、10000m平均タイムも高くなかった。戦力的には通過できるかギリギリのラインにいた。エースが上位で攻め込み、他の選手がしっかりまとめることが予選会突破の絶対条件だった。稼がないといけないエースは重圧が大きかったという。
「予選会と本戦を比べると、予選会の方が緊張しましたね。チームの雰囲気もめちゃめちゃピリピリしてきます。僕の場合は実力的にも失敗できない。エース級の選手が予選会で失敗してしまう気持ちはわかります。自分が稼がないといけない、というのはすごいプレッシャーですから。しかも当時の出場枠は15校。予選会からは6校しか通過できないので、本当にきつかったですよ」
予選会は1年時が個人10位で、チームは5位通過。2年時は個人5位に食い込んだが、チームは9位で落選した。3年時は平成国際大のジョン・カーニーに食らいつくも、終盤失速。個人11位ながら、チームは6位で通過。次点の拓大とは42秒差だった。4年時(第79回大会)からは箱根駅伝の出場枠が「20」(19校と関東学連選抜)になり、尾田くんは個人3位、チームは9位で通過している。
12人抜きも「箱根駅伝はあまりいい思い出がないんです」
箱根駅伝は1年時(第76回大会/00年)で花の2区を任されて区間最下位(15位)。3年時(第78回大会/02年)は、12月10日のエントリー記者会見で中田監督が「速い順に並べて、前半区間を突っ走りたいと思います」と豪快な戦術を披露。尾田くんは1区に起用された。
「3年時の1区は緊張しましたね。リードを奪うことが求められていたのに、区間5位に終わりました。箱根駅伝は結果を残せていないので、あまりいい思い出がないんです。4年時もたまたま最下位でタスキを受けただけですから」
4年時(第79回大会/03年)は2区で“12人抜き”を演じたが、区間順位は8位。シード権獲得を目指していたチームは総合18位でレースを終えた。関東学院大は尾田くんが卒業した年の予選会を突破するも、その後は正月の晴れ舞台を踏んでいない。これも時代の流れだろうか。