プロ野球PRESSBACK NUMBER
「『おい、契約金泥棒』とか普通に言われました」95年ドラ1・斉藤和巳、覚醒までの8年〈平成ドラフトのロマン枠〉
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byKYODO
posted2021/10/08 11:01
2003〜2006年の4年間で、2度の沢村賞を受賞した斉藤和巳。しかし、彼が一軍の戦力になるまでには時間がかかった。
小久保裕紀、尾花髙夫、王貞治……「出会い」が斉藤を変えた
いくつかの「もし」がなければ、いま頃、斉藤和巳という投手がいたことなど忘れ去られていただろう。
斉藤には、プロ野球選手として大成するための“出会い”があった。
初めて肩の手術をしたときに、ホークスの先輩・小久保裕紀との深い付き合いが始まった。
「小久保さんとの出会いがなかったら、僕はもっと早くユニフォームを脱ぐことになっていたかもしれない」と斉藤は語る。
斉藤を支え、球界のエースに育ててくれたのが99年から05年までホークスの投手コーチをつとめた尾花髙夫だった。初めてピッチングを見た尾花は「このピッチャーをエースにしなければ、自分のコーチとしての力量が問われる」と思ったという。肩に不安を抱える斉藤のために「中6日は絶対に守る」と決めた。
斉藤がドラフト指名を受けた95年からホークスの監督をつとめていたのは王貞治だった。
「粗削りだけど、いいものを持った選手だった。『いずれは中心選手になるだろう』と見ていた。高卒でホークスに入ったキャッチャーの城島健司、ピッチャーの斉藤が出てきたことが大きい。当時のホークスが本当の意味で幕開けを迎えられたのは彼らがいたからじゃないかな」
王はそう振り返っている。
王や尾花など素晴らしい指導者と巡り合い、ヒントをもらい、チャンスをつかんだ。小久保をはじめとするホークスの先輩たちの背中を見ながら、野球の技術以外の生き方まで学んだ。
覚醒までに時間はかかった。しかし、出会うべき人と出会い、そこから学んだ。かくして、ドラフト1位にふさわしい“名投手”になったのだ。