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元チア部の私が思い出す「彼氏が甲子園球児だった青春時代」 スポーツの強さは“社会との断絶”と引き換えなのか?
text by
小泉なつみNatsumi Koizumi
photograph byGetty Images
posted2021/08/28 11:03
写真はイメージです
坊主といえば、「スポクラ」の多くの生徒が坊主だった。私はその髪型が好きだったが、野球部の彼は心底嫌っていて、引退と同時に髪を伸ばし始めた。レモンの香りがする「ヘアアクセルレーター」という育毛剤をバシャバシャかけまくっていて、思いの強さを感じた。引退後の夏休み明けになると同級生の野球部員から坊主がいなくなっていたので、みんな本当に嫌だったのだ、と思った。
しかしなぜか「スポクラ」でもサッカー部だけは普通の髪型をしていたから、基準がまったくわからない。その矛盾を彼らはどう処理していたのだろう?
スポクラの彼氏からもらった「甲子園の砂」
今思えば、「スポクラ」の世界はあまりに奇妙だった。しかし当時はそれを「スペシャル」だと思っていた。一般クラスの男子から見れば「スポクラ」男子は「かなわない」存在で、女子からは「憧れ」の対象だった。全国大会となれば全校生徒が動員され、みんなでメガホンを持ち、一心不乱に声援を送った。
彼らは「何者でもない」一般クラスの、私のスターだった。そう思わない人もいたかもしれないが、少なくとも学校という組織は、彼らを特別扱いしていた。
そして野球部の彼は甲子園投手になった。大会ではすぐに負けてしまったけど、鼻が高かった。しかも彼は私に「甲子園の砂」を分けてくれたのである。ジャムの空き瓶にその砂をわけてもらって、飽きずに眺めた。
やがて私は受験勉強で忙しくなり、机の上は参考書だらけになった。ジャムの空き瓶はどんどん隅に追いやられていった。「甲子園の砂」が「ただの砂」になるのは思ったより早かった。
志望校に合格し、野球部の彼とも別れてしばらく経った頃に見つけた「甲子園の砂」は、もらった時よりもだいぶ、少なくなっていた。
「しつけ」に抗っていた「スポクラ」以外の部員たち
さらに大人になってからは、運動部における暴行事件が度々、社会問題になっていた。高校球児だった彼の中にあった真っ黒なもの。野球部の話に口をつぐんだ理由。すべてがつながったような気がした。
と同時に、「スポクラ」に入っていない、いわばレギュラー入りできない一般クラスの部員たちが、先輩からの暴力の連鎖を断ち切るべく、自分たちの代から「しつけ」的なことはもう絶対にしないという運動を密かに展開していたことも、最近になって知った。
アスリートとしては一流だったが、黒々とした感情を抱えていた彼と、アスリートとしてはイマイチだったかもしれないが、悪しき慣習と戦っていた一般クラスの男の子。私が当時熱を上げていたのは、前者だった。