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松岡修造も脱帽…「嘆き悲しんでる暇があったら、楽しくしていよう」パラ水泳・辻内彩野の“超前向き”メンタル

posted2021/08/24 17:01

 
松岡修造も脱帽…「嘆き悲しんでる暇があったら、楽しくしていよう」パラ水泳・辻内彩野の“超前向き”メンタル<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

進行性の目の難病「黄斑ジストロフィー」に冒された辻内彩野選手。目の前の松岡さんの姿ははっきり見えなくても“熱さ”は’しっかり感じている

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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Yuki Suenaga

 視力が極端に低下する、いわゆる弱視をきっかけにパラ水泳と出会った辻内彩野選手。彼女が視力低下の原因を知るまでにはかなりの時間を要するなど紆余曲折あったが、インタビュー冒頭では中学・高校時代に見舞われた怪我の話題に終始した。

 事前の下調べによれば、辻内選手がパラ水泳を始めたのは目が見えにくくなったのがきっかけのはず。これまで取材したパラアスリートたちから、パラスポーツを始めるきっかけとなった怪我や病気のことを聞いてきた松岡修造さんだが、辻内選手と会話していく中である衝撃の事実を知ることに!

 治療困難な目の難病「黄斑ジストロフィー」と、現在の辻内選手の「見え方」についても詳しく聞けば聞くほど驚きの連続となった。(全4回の2回目/#1#3へ)

#1 「パラリンピックは通過点」東京の先に健常の大会を目指すパラ水泳・辻内彩野の目標設定に、松岡修造が驚愕! より続く

松岡修造もびっくり! “劇的チェンジ”の意味とは

松岡:ここから劇的な話がスタートするということですけれども、今、ものすごく元気にお話しされていますが、実は話しにくい所ですか?

辻内:いえ、全然普通に話せる所です。

松岡:だって、劇的ですよ。彩野さんが苦しんだ所ではないかと思いまして……。

辻内:苦しんだ記憶が無いんですよ。逆に良かったなって思うぐらいな“劇的チェンジ”です。

松岡:えっ、その劇的チェンジはどこから始まりますか?

辻内:話は中学校に入るぐらいに戻ります。小学校高学年まで視力は1.0以上あったのが、中学生になって1.0未満になって、0.6とか0.7とかになったんです。まぁ、若干見えにくいという所からのスタートです。

松岡:そうですよね、0.6って、それほど見えないわけではないですもんね。

辻内:ところが、そこからどんどん落ちていって、なんかおかしいぞと。でも病院へ行っても一過性の近視と言われて、高校に入るぐらいになると作った眼鏡が1、2週間ですぐ合わなくなったんです。

松岡:例えば、どういう見え方なんですか。

辻内:今まで見えていた黒板の字が明らかに見えにくくなったり、外の光が眩しいなとか。あと、「こんなに時計が見えなかったっけ?」というのが何カ月も続いていて。でも、眼科では近視と言われるだけ。

【次ページ】 進行性の難病「黄斑ジストロフィー」

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