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パラ水泳転向直後に日本新記録!辻内彩野のモチベーション「高校生の頃の自分に勝つ」に修造が見たアスリート魂

posted2021/08/24 17:02

 
パラ水泳転向直後に日本新記録!辻内彩野のモチベーション「高校生の頃の自分に勝つ」に修造が見たアスリート魂<Number Web> photograph by AFLO

2021年の日本パラ水泳選手権に出場した辻内彩野選手。怪我をして一度水泳を諦める前の自分のタイムが目標

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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 大学1年生の5月に目の難病「黄斑ジストロフィー」であることが判明。視力の低下が進んでいった辻内彩野選手は、2016年リオデジャネイロパラリンピック日本代表の友人の言葉をきっかけにパラ水泳の世界に飛び込み、強化指定選手となった。

 そこは、パラスポーツの最高峰といわれるパラリンピックを目指す選手ばかり。しかし、辻内選手はパラリンピックと言われても、いまいちピンと来なかった。果たして彼女は変わるのか? どうやって東京パラリンピックの日本代表に選ばれるまでに成長するのか?

 松岡修造さんは辻内選手の競技レベルの高さを知りつつも、少々不安な気持ちを抱えながら彼女の変化をたどっていった。(全4回の3回目/#2#4へ)

#2 松岡修造も脱帽…「嘆き悲しんでる暇があったら、楽しくしていよう」パラ水泳・辻内彩野の“超前向き”メンタル より続く

友人の言葉がきっかけでパラ水泳へ

松岡:パラアスリートになったのは何がきっかけだったんでしょうか?

辻内:きっかけをくれたのは、高校の同級生で、2016年リオデジャネイロパラリンピックのパラ水泳日本代表だった森下友紀さんです。高校を卒業してすぐの頃に一緒にカラオケに行って、選曲に使うタブレットみたいなのあるじゃないですか。その画面を私がかなり近い距離で見ていたのを見て、「もっと目が悪くなったら(パラ水泳に)来れば」って軽い感じで言ってくれたんです。

松岡:彩野さんはどう受け取られたんですか?

辻内:「うん、わかった。いざとなったら行くわ」って。こちらも軽いノリでした。

松岡:その軽いノリが現実になったわけですね。

辻内:症状が進行して、2017年2月に障害者手帳を取得したタイミングで、「そういえば、あんなこと言ってたな」って思い出したんです。「本当に悪くなっちゃったよ」と連絡したら、「おぉ、まじか。ほんとに来る?」と返信が来ました。それに対して「行こうかな」と返して、その後はわちゃわちゃと話が進みました。

【次ページ】 最初はピンと来なかったパラリンピック

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