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「これほど多くの犠牲を払ったランナーは…」30歳大迫傑は“濃すぎる4年間”で日本男子マラソン界をどう変えた?

posted2021/08/07 11:04

 
「これほど多くの犠牲を払ったランナーは…」30歳大迫傑は“濃すぎる4年間”で日本男子マラソン界をどう変えた?<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

東京五輪を前に、自身のTwitterにて“事実上のマラソン引退”を発表した大迫傑

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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Nanae Suzuki

 東京オリンピックの陸上競技が開幕する前日の7月29日、男子マラソン代表の大迫傑(Nike)が『LEGACY』と題した1本の動画を自身のYouTubeチャンネルにアップロードした。

「陸上選手、マラソンランナーとしてのゴールを8月8日に決めました。それは東京を自分自身の競技人生の最高のゴールにするためです」

 その動画で語られたのは、事実上の引退表明だった。

 今年5月に30歳を迎えたばかり。マラソンでは30代で活躍する選手も多く、“まだまだやれるはず”とは多くの人が思ったにちがいない。

中学時代から“第一線”で戦い続けてきた

 大迫は中学時代に全国3位の実績があり、駅伝では、佐久長聖高(長野)時代に全国高校駅伝で初優勝、早大では箱根駅伝、全日本大学駅伝、出雲駅伝の学生駅伝三冠を達成した。その後も、トラックで2度の世界選手権と前回のリオ五輪に出場するなど、華々しい実績を残してきた。

 若い頃から第一線で活躍してきたゆえに、そのキャリアはだいぶ長いようにも錯覚するが、初マラソンに挑んだのはリオ五輪後のこと。マラソンランナーとしては4年間と決して長くはないものの、その時間は濃すぎるほどぎゅっと濃縮されたものだったように思える。

「走るってよ」マラソンも“突然の表明”から始まった

 思い返せば、初マラソンも突然の表明から始まった。

 トラックで順調に記録を伸ばし、2016年は5000m、10000mの2種目で日本一になり、リオ五輪に出場を果たした。しかし、初めての五輪の舞台では世界の分厚い壁に跳ね返された。

 その後のインタビューで「5000m、10000mでの入賞をもう1回狙っていきたい」「マラソンは将来的には見据えているが、この冬にマラソンを走ることはありません」などと話しており、マラソン挑戦はまだ先になるかと思われた。

【次ページ】 「大迫、ボストンマラソン走るってよ」

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