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「女子は獲れない」を見返したいと…村上茉愛、天才体操少女が大人になったとき「大学1年がターニングポイントでした」
 

text by

矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byMasamitsu Magome

posted2021/08/02 20:15

「女子は獲れない」を見返したいと…村上茉愛、天才体操少女が大人になったとき「大学1年がターニングポイントでした」<Number Web> photograph by Masamitsu Magome

ゆかで世界屈指の実力者へと成長した村上茉愛。日体大での生活が飛躍へのきっかけとなった。

高3の頃は正直、やる気がなかった。

 2位のバネッサ・フェラーリ(イタリア)も3位のラリサ・ヨルダケ(ルーマニア)も前年のロンドン五輪で好成績を収めていた。加えて、さらに大きな衝撃があった。それまで見知らぬ存在だった“同学年”のシモーン・バイルス(米国)が個人総合とゆかを制した。

「なんだ、この選手は……」

 女子体操界でトップを走る米国の実力を目の当たりにし、直感的にこう思った。

「メダルは獲れない」

 見えていたはずの頂点が遠いところにあると感じ、モチベーションががっくりと落ちた。練習に身が入らなくなるのと同時に、思春期の身体の変化もあり、体重が増えてケガをするようになった。

「高校3年生だった'14年は正直、やる気がなかったです。どうせメダルを獲れないのは分かっている、と欲がなくなったんです。体重を減らそうとも思わなかったし、負のスパイラルでした」

 どうにか世界選手権の代表には選ばれたものの本番での結果は予選落ち。あいまいな気持ちのまま'15年春に日体大に進学すると、今度は団体戦の部内選考会でも負けるようになった。また、世界選手権代表選考会では上位に入れず、代表メンバーから漏れてしまった。

恩師からの「考えを改めなさい」。

「自分は何をやっているんだろう」

 これではいけないと苦しんでいるときに瀬尾京子監督から厳しく突きつけられたのが、「考えを改めなさい」という言葉だ。それまでは気分に応じて好きな練習をする毎日であり、ジュニア時代はそれでも通用していた。しかし、シニアでは4種目トータルで点を出せなければ大会に出ることすらできなくなる。現実を知った村上は、苦手種目の段違い平行棒や平均台の練習を増やしていくうちに、心境にも変化があることに気づいた。

「代表から落選したことでプレッシャーから解放されて、吹っ切れたんです」

 こうして徐々に調子を取り戻していたタイミングで、世界選手権代表メンバーが負傷。補欠として世界選手権のチームに同行することになった村上は、現地入りしてからの好調ぶりを評価され、出場メンバーに抜擢された。結果は団体5位でリオ五輪の団体出場枠獲得に貢献し、個人総合では日本女子最高の6位だった。

【次ページ】 「体操をもっと好きになりました」

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