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スターダムの新星“闘魂Hカップグラドル”白川未奈の決意「実力勝負なら、いつか追い抜ける」《2冠達成記念特別グラビア+インタビュー》
posted2021/07/17 11:01
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Takuya Sugiyama
「努力は必ず報われるなんて、私は言えないです」
女子プロレス団体スターダムで活躍する白川未奈は、努力ではどうにもならないことがあると知っている。
それでも彼女は“努力の人”だ。自分から努力しているとは言いたくないけれど、努力や創意工夫なしでは何も成し遂げられないことを知ってもいる。
「グラビアが“特急券”なんだなって思ったんです」
もともとはグラビアアイドル。青山学院大学英米文学科卒で就職もしていたが、24歳で芸能界へ進んだ。どうしても歌って踊る仕事がしたかった。だがスカウトされたのはグラビアの事務所。それなら求められることをやろうと決めた。
「グラビアが“特急券”なんだなって思ったんです」
若くて可愛くてスタイルもいい、アニメ声のグラドルはたくさんいた。では自分はどこで勝負するか。バラエティ番組で芸人にいじられるポジションを狙いにいった。自分のファンを増やすというより「爪痕を残す」ことで知名度を上げたかった。体を張ったし、手応えもあった。
「深夜番組、ABEMAの番組によく呼んでいただいて。『水着になれて面白い枠は白川がいれば大丈夫』って。でも、そこからレギュラー番組を持つというのは壁が高かったです。地上波のゴールデンタイムだと求められることも違うし、事務所のプッシュだったり上の人に気に入られるとか、いろんな要素が絡んでくる」
もう一つ、努力では乗り越えられない壁があった。白川がグラビアアイドルになった頃には、AKB48を筆頭にライブを中心としたグループアイドルのブームが到来。雑誌グラビアの人選もそちらにシフトするようになった。“グラドル”の仕事の幅がどんどん狭まっていくのを、身をもって感じたのだ。
「今しかない」――30歳でプロレスデビューを決意
そんな時に、プロレスデビューの話が来た。以前から勧められていたが、プロレスファンだったからこそ畏れ多く、遠慮していた。筆者が白川に初めてインタビューしたのはデビュー直前。好きなプロレス会場はと聞くと「新木場1stRINGです」と答えていた。両国国技館でも後楽園ホールでもない、インディー団体の主戦場。本当に好きで会場に通っている人間だからこそのチョイスだ。そしてプロレスラーになるということは、もうファンとしてプロレスを見ることができないということでもある。
それでも30歳でのデビューを決意する。「今しかない」と思ったそうだ。
「プロレスデビューすることになって、いろんな人に『もっと早く始めていれば』って言われたんです。『だから、前からやったほうがいいって言ってたじゃない』とか。確かに早いほうがよかったのかもしれない。でも私にはあのタイミングがよかったんだと思います。もっと早かったら『でも水着でも売れたいし……』という気持ちが残ってたかもしれない。もちろんこれからもグラビアのお仕事、バラエティのお仕事はしたい。でもそれはプロレスを広めるためですね。今は週プレ(週刊プレイボーイ)よりも週プロ(週刊プロレス)の表紙になりたい(笑)」