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「五輪と箱根(駅伝)だったら、絶対に五輪に行きたい」 大学へ進まなかった最強ランナー・遠藤日向の断たれた東京への道
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byAFLO
posted2021/06/30 11:01
日本選手権男子5000mで優勝した遠藤日向はレース後涙を流した。五輪出場を逃した22歳は何を思ったのだろうか
日本人選手でただ一人、外国人選手に食らいついたが
遠藤は、高校生の頃のようにハチマキを巻いて勝負の舞台に立った。
序盤こそ、様子を見ながら5~6番手でレースを進めていたが、すでに10000mで代表内定している相澤晃(旭化成)が1200mでするすると前に出ると、すかさず遠藤も相澤に付いてペースアップした。
その時点ではオープン参加の2人の外国人選手とは少し差が開いていたが、日本人のライバルを振り切ると、五輪参加標準記録に向けて、必死に前を追った。
「先頭との差を詰めるまでに1人でペースアップしなければならなかった。そこをもうちょっとうまく走れていれば、もう少しタイムは出せたのかなとは思います。まあ、少しタイムが速かったところで、(五輪参加標準記録の突破は)どうなんだって話なんですけど……」
3000mの時点では、日本人選手でただ一人、遠藤だけが外国人の2人に食らいついていたが、アモス・クルガト(中電工)から“付いてこい”というジェスチャーを受けながらも、目標ペースからは少しずつ遅れていった。
最後は、松枝博輝(富士通)の猛追から逃げ切り、なんとか優勝は手にしたが、記録は13分28秒67。東京五輪出場の夢はそこで潰えた。
神林、塩澤、吉田、相澤…箱根スターの中でも最強だった
遠藤の経歴を振り返ると、それは非常に輝かしいものだ。
中学時代には、3000mで全日本中学校選手権とジュニアオリンピックで優勝するなど、早くから全国区にその名を轟かせていた(ちなみに、郡山四中時代の遠藤を指導していた鈴木貞喜先生は、元マラソン日本記録保持者で現在は駒大のコーチを務める藤田敦史の中学時代の指導者でもある)。
そして、強豪・学法石川高に進んだ遠藤はさらに実績を積み重ねる。インターハイでは、5000mで2年時、3年時と2年連続で日本人1位を獲得。3年時は1500mで優勝も果たしている。さらに、国体では、高校3年間、留学生や1学年上の先輩が相手でも負けることがなかった(1年時は少年B 3000m、2、3年時は少年A 5000m)。
遠藤の同学年には、神林勇太(青学大→一般企業に就職)、吉田圭太(青学大→住友電工)、塩澤稀夕(東海大→富士通)、西山和弥(東洋大→トヨタ自動車)といった後に箱根駅伝のスターとなる選手たちがいる。さらに1学年上は、学法石川高の先輩の相澤や、伊藤達彦(Honda)ら現在の日本長距離界を席巻している世代。それほどの実力者たちを寄せ付けず、遠藤は最強を誇っていた。