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「オークスとダービー、どちらにしますか?」 桜花賞2着の牝馬ウオッカが“近代競馬史上初の偉業”を遂げるまで
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2021/05/30 06:02
桜花賞2着から挑んだウオッカのダービーは今なお名レースとして語り継がれる。サトノレイナスはこの名牝の再来となるだろうか
角居師も、谷水氏も、ダービーへの思いがあった
この2年前の05年、角居師はシーザリオでオークスを勝っていた。その時は3着のディアデラノビアもまた角居厩舎の馬だった。これに対し、ダービーはまだ出走馬を送り込んだ事すらなかった。それも迷わずダービーを選択した要因の1つだろう。
そんな事情はオーナー側にもみて取る事が出来た。谷水氏はオーナーとしてタニノギムレットでダービーを勝っていたが、先代の谷水信夫氏はタニノハローモア(1968年)とタニノムーティエ(1970年)で2度、3歳の頂点を極めていた。先代に並ぶ2度目の制覇を目指したいのでは? と考えた角居師は、任せてくれたオーナーの心意気に応えるためにも、ダービーを目指したのだ。
「ダービーならそこまで人気にはならないでしょう」
このダービー挑戦を喜んでいたのは主戦の四位洋文騎手(現調教師)だ。四位騎手は当時、次のように語っていた。
「オークスだと間違いなく人気になります。牡馬相手のダービーならそこまで人気にはならないでしょうから、気持ちとしてはずっと楽になりました」
2枠3番という枠順が発表されると、その想いは更に強くなった。
「オークスでこの枠だったら厳しくマークされそうだけど、ダービーならインでジッと我慢出来ると考えました」
結果、それがズバリとハマった。
「道中は『まだだよ、まだだよ』と声をかけながら乗っていました。良い手応えで直線を向けたし、抜け出した時は牡馬相手にこんな突き抜ける事が出来るんだ!? と何とも言えない気持ちで追っていました」
それを見たときのことを角居師はこう語った。
「馬群から抜け出すのを見て『凄い馬だなぁ』と思いながら、最後は『粘ってくれ!!』という気持ちで見ていました」