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松岡修造も戦慄…「生きていくのに必要ない記憶」高嶋活士が語るパラ転身の契機となったJRA時代の落馬事故の経緯 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byYuki Suenaga

posted2021/05/30 11:01

松岡修造も戦慄…「生きていくのに必要ない記憶」高嶋活士が語るパラ転身の契機となったJRA時代の落馬事故の経緯<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

松岡さん188センチに対し、高嶋選手は161センチ。元ジョッキーらしい体型で、騎乗中は馬とさすがの一体感を見せる

騎手復帰を目指してリハビリに励むも……

松岡:病室で目が覚めて、右の手足が動かないぞと思ったときはどう思われましたか?

高嶋:意識がまだ曖昧でしたから、「あれ? なんだ?」という感じでしたね。

松岡:現実を受け入れるまで相当時間がかかったのではないでしょうか?

高嶋:意識がはっきりして最初の診察で主治医から「リハビリをすれば騎手に復帰できますよ」と言われて、「そうなんだ、リハビリをすれば大丈夫なんだ」と結構気楽に考えていたんです。それがリハビリが始まってすぐはグングン回復したのが、1カ月くらい経つと回復の度合いがだんだんとゆるやかになっていって……。

松岡:治ると思っていたものが、思ったようにいかなくなると不安や焦りも出てくると思うのですが、競馬に復帰するのはちょっと無理かもしれないと思ったのは、どの段階だったのでしょう?

高嶋:事故から2年くらいした頃です。最初の8〜9カ月はリハビリの専門病院に入院して集中的にリハビリをして、退院する頃には馬に乗れるくらいまで回復したので、まずは乗馬から再開して、次は競走馬のいる牧場で競走馬に乗せてもらうようになりました。でも、以前のように馬を抑えられなかったんです。

松岡:「抑えられない」というのは具体的に言うと、どういう状況なんでしょうか?

高嶋:乗りこなせないっていう感じですかね。馬は頭がいいので、僕の右半身の力が弱いことに気づくとそこに甘えてきて、真っ直ぐ走らせたいのに進路が右に寄って来るんです。それを僕がコントロールできない、抑え込むことができないという状態ですね。競馬のレースは10頭以上で走りますから、もし進路を誤れば馬同士が接触して周りを巻き込む大事故になりかねません。それを考えたときに「騎手として復帰するのは、ちょっと無理かな」と思いました。

【次ページ】 パラ馬術転向のきっかけは東京パラリンピック

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