ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
早藤キャディが明かす松山英樹との二人三脚…「いつ来るか分からないチャンス」を掴むため中学から言われていたこととは?
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byGetyy Imamges
posted2021/05/03 11:03
マスターズ優勝の瞬間、喜びを分かち合う松山英樹と早藤将太キャディ。コンビを組んでから初の優勝を聖地オーガスタで達成した
マスターズでアジア人初のローアマチュアとなった先輩は、その年の秋には学生アマにして日本ツアー・三井住友VISA太平洋マスターズを制した。
「日曜日は部員みんなでテレビを観戦。18番でピンそばに2オンさせて……鳥肌が立ちました。そのときも僕はテレビの取材を受けて…『松山さん、おめでとうございます』と答えました」
早藤は高校卒業後の2012年、松山を追うようにして福祉大のゴルフ部員になった。同級生のトップ選手だった浅地洋佑や川村昌弘らはプロデビューしたが、彼はまだ将来像を描けないでいた。翌13年には松山がいよいよプロに転向して日本で賞金王に、PGAツアーの出場権もつかむ破竹の勢いを見せたが、それもどこか遠い世界の話に感じていた。
時間とともに突きつけられる進路の選択。
「みんな3年生になったときくらいに慌てるんです。僕もそうだった。プロになれるのかな…って」
相談相手のひとりが松山だったことは言うまでもない。
「『気づくのが遅いよね』と松山さんに言われました」
言葉は胸に突き刺さった。
25歳までに自立できていなかったら
早藤は持ち前のパワー(松山をオーバードライブすることもある)を生かしたゴルフで、卒業後は日本ツアーでの活躍を目指したが、出場権を得られず職場を求めて海外にも目を向けた。中国で展開されるPGAツアー・チャイナでは3シーズンを過ごした。
だが、安定的な出場資格を確保できないまま時間だけが過ぎていった。
「25歳までに自分がどこかのツアーのシードも持たず、自立できていなかったらプロはやめよう。松山さんにもそう伝えていました」
決心は固まっていた。
松山のことを仰ぎ見て早藤は言う。
「明確な目標がある人と、ない人。その差で大きな違いがあった。もっと早く気づけば、僕の人生もちょっと違ったかもしれなかった。松山さんは小さい頃から目標があったと思うんです。だから人にはできない努力をしてきた。僕に……それを伝えたくて、本当はいつも背中で見せてくれていたのかもしれない」
10年以上連れ添った“お兄ちゃん”の無言のメッセージを受け流していた。後悔があるとすれば、それに尽きる。
だが松山は、弟分を見捨てなかった。いや、彼を必要として新たなパートナーに起用した。第2の人生を歩もうとした早藤に自分のキャディとしての成長を促し、タイトルから遠ざかっても、プロゴルファーとしての能力、視点に期待した。
「ホントに怒られてばかりです」
互いに気兼ねなく言葉をかけ合うがゆえ、和やかムードのときも、大勢の人の前で一触即発の雰囲気になったこともあった。そう繰り返して成熟したコンビになった。