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早藤キャディが明かす松山英樹との二人三脚…「いつ来るか分からないチャンス」を掴むため中学から言われていたこととは? 

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byGetyy Imamges

posted2021/05/03 11:03

早藤キャディが明かす松山英樹との二人三脚…「いつ来るか分からないチャンス」を掴むため中学から言われていたこととは?<Number Web> photograph by Getyy Imamges

マスターズ優勝の瞬間、喜びを分かち合う松山英樹と早藤将太キャディ。コンビを組んでから初の優勝を聖地オーガスタで達成した

「僕はちょこまかちょこまか、松山さんの周りをくっついていて。部活が休みになるたびに『遊びましょうよ』って“絡み”に行きました。でもあんまりにも僕がしつこいから、『もういいから、ウザい!』って、部屋の扉を閉められて(笑)」

 当時松山はすでにジュニアゴルフ界では名の知られた存在で、同い年の石川遼らとは全国大会で顔を合わせていた。だがそれを鼻にかけるでもない先輩は、早藤からすればちょっとした有名選手だという実感も薄く、あくまで頼れそうな“お兄ちゃん”の認識に過ぎなかった。「寮生活をしていると、外の世界から切り離されているような感じもあって」。そんな猛アタックに松山が根負けしたかどうかは定かではないが、次第に仲は深まっていった。

 一方、早藤はゴルフのほうでもバリバリの初心者として入部したにもかかわらず、たちまち実力をつけていった。クラブを握って約1カ月で出場した非公式の大会で100を切り、それから1年しないうちに70台をマーク。そのまた半年後にはアンダーパーを記録した。

「試合で回るたびにベストスコアが出て、ゴルフが楽しくて仕方がなかった」

有言実行の「逆転優勝」

 参加したジュニアレッスンを主宰していた青木功にも目をかけられるようにもなり、いよいよ全国大会にも出られるかも……という欲が芽生える。すると途端に、松山のゴルファーとしてのスゴさも理解し始めたのだった。

 学生ゴルフは中学と高校の全国大会が同じか、近隣コースで行われることが多く、明徳義塾高入学後の先輩とはたびたび遠征で一緒になった。2008年、高校2年生だった松山は(早藤が中3)四国アマチュアで大学生らを破って優勝。さらに全国高校選手権を制して日本一になった。

 早藤の鮮明な記憶のひとつ。「(高校選手権の)最終日前日の夜、松山さんは『あした64を出せば勝てる』って言ってたんです。そうしたら、ホントに翌日64を出して逆転優勝した。『すげえ……この人は飛びぬけてうまいんだ』って思いました」。なお、同大会で2位に入ったのが当時埼玉栄高1年の今平周吾だった。

 先輩が四国を離れ、東北福祉大に進学してからも関係は続いていた。

 2011年、松山が初めてのマスターズを控えた1カ月前のこと。明徳義塾高のキャプテンを務めていた早藤は「松山先輩がマスターズに出ることについてどう思いますか?」と地元テレビ局の取材を受けていた。

「部活が始まる前、地元・高知のテレビ局の方が学校に来ていて。でもインタビューの最中に突然、周りが騒がしくなったんです。『ヤバい、ヤバい』って……」

 3月11日、東日本大震災の直後のようすだった。

【次ページ】 松山を追うように入学した東北福祉大

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