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33歳元Jリーガーが重量級プロボクサーに転身…野洲の衝撃、10年前の挫折、リベリアから亡命「やっと燃え尽きる場所が見つかった」
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byShimei Kurita
posted2021/04/28 17:02
プロボクサーに転向したハウバート・ダン。井上尚弥らが所属する大橋ボクシングジムで汗を流している
実はダンの一家はリベリアから亡命して日本へ渡っている。内戦中の西アフリカの小国で生を受け、4歳で横浜に移り住んだ。20万人以上の死者を出したリベリア内戦では、80年代終わりから00年代にかけて断続的に政府軍と反政府勢力による抗争が続いた。
当時の記憶はほとんどない。だが、戦火の最中にあったリベリアでの体験は、その後の人格形成に影を落とした面はあるのかもしれない。
「物心つく前に、すぐ身近で戦争が起きていたんです。当時のことはほとんど覚えてないですが、時々ふと生死について考えることがある。潜在意識に残っているんですかね。ウチの家では風化させないために1年に一度、リベリアでのことを話すんです。しんみりするのではなく、どんなツラいことでも笑いに変換するという生き方にしようと。でも心の底から笑うためには、全てをかけて打ち込めるものが必要だった。それをずっと探し続けてきた」
周囲の声は気にならなかった
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ボクシングとの出会いは、19年に石川県で知人の事業を手伝う話が頓挫したことが契機となる。空いた時間に「小松ボクシングジム」に通い始め、その魅力に取り憑かれていった。3カ月が経つ頃にはプロへの意識が芽生え、本格的にトレーニングに打ち込んでいく。30歳を過ぎた未経験者がプロを目指す。それも、日本では同階級のボクサーがほとんどいないクルーザー級で……。ボクシング界の常識を知る人間ほど、無謀ともいえる挑戦に難色を示し、親からの猛反対も受けた。それでもダンは、そんな雑音は露ほども気にとめなかった。
「今から本気でプロになるためにはどうすればいいか」
ジムの会長に相談したところ、旧知の間柄である大橋ジムを紹介された。20年1月に横浜に戻ってきた後は、プロ試験に合格するためにボクシング中心の生活を送っている。
「ボクシングの何が面白いって、2年程度やっても全く上手くならないことです(笑)。正直、サッカーや他のスポーツではやればやるだけ人より早い速度で上達してきた。でも、ボクシングはそんな手応えが全くない。それだけ奥が深い競技なんだと実感しています。団体競技であるサッカーでは、自分のためだけには頑張りきれなかった。それが10年前の現実でした。10年後の自分は、ボクシングという究極の個人競技をどこまで突き詰められるか。僕自身が納得するまで、それを見てみたいだけなんですよ」