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「何のために生きていけば…」 レスリング須崎優衣が見せた“五輪出場ほぼゼロ”からアジア予選完全優勝の大逆転劇 

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布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

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photograph bySachiko Hotaka

posted2021/04/20 17:00

「何のために生きていけば…」 レスリング須崎優衣が見せた“五輪出場ほぼゼロ”からアジア予選完全優勝の大逆転劇<Number Web> photograph by Sachiko Hotaka

アジア最終予選で無失点優勝を遂げた須崎優衣。一度は途絶えかけた夢を掴んだ

決勝も完勝で全試合失点0

 この時点で須崎は2位以内の入賞を確定させたので、規定により念願だった東京オリンピックの出場枠を獲得した。日本のスポーツサイトには次々と速報が流れたが、現場で時のヒロインが即座にコメントを出すことはなかった。「最後に残っていた決勝(4試合目)に集中したかった」からだ。

「3試合目に勝った時点で喜んでしまうと、気持ちが緩み集中できなくなると思ったんですよ。日本での報道はこっちで優勝してから見ようと思っていました」

 4試合目は須崎同様、3戦全勝をマークしていたモンゴルの選手だったが、敵ではなかった。得意のアンクルホールドで点数を重ね、10−0のテクニカルフォール勝ち。全試合失点0という完全優勝を収めた。

「無失点で勝てたことは良かったと思う」

高校生での世界制覇から長い道のり

 周囲の手厚いサポートも見逃せない。当初は練習パートナーを帯同する予定だったが、土壇場で諸事情により中止に。そこでカザフスタンでは女子ナショナルチームの笹山秀雄監督と吉村祥子コーチがトレーニングパートナーを務めた。現地入りしてからの実戦練習で、吉村コーチは不意にバッティングを受け、アゴに大きなアザを作っている。

 須崎は「本当に申し訳ないことをした」と謝罪する一方で、「おかげで何不自由なく最高の最終調整ができた」と頭を下げる。

「おふたりとも身体はきつかったと思うけど、本当に一生懸命やってくださった(※笹山は53歳、吉村は52歳)」

 須崎にとって、東京オリンピック内定までは本当に長い道のりだった。2017年、高3のときにシニアの世界選手権に初出場を果たすと、初優勝を収めた。高校生での世界制覇は2002年の伊調馨以来の快挙だった。翌年の同選手権でV2を達成すると、須崎は「東京五輪50kg級の本命」と期待される存在となった。

【次ページ】 「何のために生きていけばいいんだろう」

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