ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「八百長野郎!」禁句連発、レフェリーに暴行で元横綱・北尾光司が暴走… 対戦相手テンタが語っていた30年前の真実
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2021/04/01 17:03
91年の3.30東京ドーム、テンタ戦での北尾光司。彼のレスラー人生はその直後の4月1日に決定づけられたのかもしれない
「ひとつだけ役に立ったことがある」
「神戸での北尾戦は、試合自体はしょうもない試合だったし、オレが彼をブチのめしたわけでも、彼がオレを潰したわけでもない。いま考えればなんでもない試合なんだけど、ひとつだけ役に立ったことがあるんだ。
アメリカに帰ったら、話に尾ひれがついて何かものすごいシュートマッチをやったって大袈裟な噂になっていたんだ。相撲のグランドチャンピオンが仕掛けたシュートを返り討ちにしたっていう風にね。それで他のレスラーから一目置かれるようになったんだよ(笑)。まあ、良かったことといえば、それくらいかな。シュートマッチなんて、あれが最初で最後だよ。SWSに次に戻ってきたときも全然問題なかったし、数年後に天龍さんの団体WARで北尾と再戦が組まれたときも、ちゃんと普通に試合をしたからね」
北尾はSWSを解雇になったあと、武道家への転向を発表。92年にはUWFインターナショナルに参戦し、史上空前のヒールぶりで高田延彦との歴史的な一戦を行ない、ハイキックでKO負けを喫している。その後、自身の道場「北尾道場(武輝道場)」を設立し、自主興行やWARのリングなどでプロレス活動を続けたが、結局、98年10月11日に『PRIDE.4』のリング上で引退式を行うまで、ついにプロレスファンからの人気を得ることはなかった。
プロレス史上、もっとも体格と才能に恵まれた選手のひとりであるだけに、あまりにももったいなかったが、あの神戸でのジョン・テンタ戦が、ある意味で北尾のレスラー人生を決定づけてしまった気がしてならない。