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10年前、“普通の女の子”になりたかったボクシング並木月海が「金メダルをとりたい」に変わるまで

posted2021/01/09 17:00

 
10年前、“普通の女の子”になりたかったボクシング並木月海が「金メダルをとりたい」に変わるまで<Number Web> photograph by MURAKEN

趣味は映画鑑賞とお菓子作り。最近はチーズケーキとガトーショコラを作った

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齋藤裕(Number編集部)

齋藤裕(Number編集部)Yu Saito

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 2020年3月にヨルダンで行われたボクシング東京五輪アジア・オセアニア予選。準優勝に輝き女子初となる五輪出場を決めた並木月海の闘いの原点は空手にある。

「兄弟の影響で4歳から空手を習いました。更に強くなるため、小学校3年生からキックボクシングを始めたんです。左足の力が強く、当時サウスポーが少なかったので、右利きですけど左構えになり、今もそのままです」

 しかし並木はその後、中学1年で格闘技をきっぱりやめてしまう。その理由を恥ずかしげにこう語る。

「普通の女の子になりたかったんです(笑)。特に何をするでもなく、友達と遊んで家に帰って……と1年間をダラダラ過ごしていました。そんな生活にどこか物足りなさを感じるようになって、近所のボクシングジムにフィットネス感覚で足を運んでみたんです」

高校時代は無敗。しかし社会人1年目は

 グローブを手にした小柄な中学2年生はすぐさま頭角を現す。その体躯からは想像のつかない強烈なパンチを武器に左ファイターとして年上を圧倒し、高校1年で全日本選手権ジュニアの部を優勝。初めて掴んだ頂点の座からオリンピック出場という目標がはっきりと見えた。

 高校時代は無敗。しかし社会人1年目の'17年には、他の選手から対策を立てられ、度重なる負けを経験する。

「戦い方を見直し、ステップワークを磨きました。パンチを掻い潜り、素早く距離を詰めて懐に入る。その感覚を身につけるため、映像を見て練習を何度も繰り返しました。負けを経験したことで、レベルアップでき、五輪出場に繋がったと思います」

 五輪出場が決定した直後に訪れた外出自粛の期間も、課題と感じたパンチの精度とその使い分けなどを個人練習で磨いた。

「東京五輪には出るだけではなく、出るからには、金メダルをとりたい」

 10年前、普通の女の子になりたいと願った少女は今、世界にただ一人の特別な選手になるべく、その階段を登り続けている。

並木月海Tsukimi Namiki

1998年9月17日、千葉県生まれ。花咲徳栄高卒業後、'17年4月から自衛隊体育学校所属。'18年世界選手権で銅メダル獲得。今年3月、東京五輪女子フライ級日本代表に内定。幼馴染の那須川天心とは空手で対戦歴あり。153cm。

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