スポーツ名言セレクションBACK NUMBER
【トライアウト】身重の妻のため投げた23歳、2度目戦力外の松坂世代、兄・由規の「諦めるな」 引退瀬戸際の男達
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byNanae Suzuki
posted2020/12/29 11:07
シーズン後の“風物詩”となった感のある12球団合同トライアウト。そこに挑む選手の人間模様はさまざまである
<名言3>
(母と妻に)いい報告が出来るようにと思って、マウンドに立っていました。
(西川健太郎/NumberWeb 2016年11月15日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/826898
◇解説◇
トライアウトは現役生活を模索する場であるとともに、多くの選手にとって「現役最後の舞台」となる。その多くが20代前半の若手であることも現実である。これほどまでにプロの世界の厳しさを実感するものはない。
アマ時代に高く評価された選手でも、プロの世界で結果を残せなければ戦力外通告の憂き目にあう。西川は名門・星稜高校で1年秋からエースとして君臨。甲子園の舞台こそ踏めなかったものの、140キロ台後半のストレートなど将来性を買われ、2011年ドラフトで中日に2位指名された。高卒1年目から一軍登板の機会が与えられると、2年目には阪神打線相手に7回1安打の好投でプロ初勝利を挙げるなど、順調に成長していくかと見られた。
しかし3年目以降はケガなどもあって出番が減ると、2015年の「6試合 1勝 防御率3.68」というシーズン成績が一軍最後の数字となった。
2016年限りで戦力外通告を受けた西川。当時23歳という年齢もあって、12球団合同トライアウト参加を決断。もともとのオーバースローに戻して挑んだ。「最速は141キロでした。久しぶりに投げたことを考えれば、まずまずだったと思います。ストレートが魅力と言われてこの世界に入った投手です。だから最後の1球はどうしても真っすぐで勝負したかった。(中略)悔いのない選択をしたと自分では思っています」と、自分のピッチングができたと語っている。
スタンドでは故郷・石川から駆け付けた母が名前を叫びながら声援を送った。一方、1つ年下の若妻は名古屋の自宅にいた。12月下旬には第1子が誕生する予定で、自宅から祈っていたという。
結果として、西川に現役選手として声をかける球団はなかった。しかし、恩情を見せたのは古巣の中日だった。
トライアウト直後に、中日は打撃投手への転身を打診した。そして2016年11月24日、西川は打撃投手として正式に契約している。チームを支える“裏方”として、今もなおプロ野球の舞台を支えているのならば――彼の野球人生は、現在進行形で進んでいるといってもいいのだろう。