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【トライアウト】身重の妻のため投げた23歳、2度目戦力外の松坂世代、兄・由規の「諦めるな」 引退瀬戸際の男達
posted2020/12/29 11:07
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Nanae Suzuki
<名言1>
1度目の戦力外と、今回は違いましたね。めちゃくちゃ、きつかったです。
(久保裕也/NumberWeb 2017年5月11日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/828034
◇解説◇
抑えの効いた切れのある速球と多彩な変化球が持ち味だった久保。木佐貫洋とともに2002年ドラフトの自由獲得枠で巨人に入団すると、先発、中継ぎ、抑えと原巨人のブルペンを大車輪で支えた、松坂世代の知性派投手だ。
特に2010年にはセ最多登板となる79試合で32ホールド、翌2011年には21ホールド20セーブ、防御率1.17という素晴らしい成績を残した。
しかしその翌年から成績が下降すると、2015年限りで巨人から戦力外通告を受ける。この時はDeNAが獲得に手を挙げて入団したものの、わずか1年で再びの戦力外通告を受けた。2年連続で“クビ”を宣告されてしまえば、どれだけ実績を残した選手だとしても精神的なダメージは大きいだろう。
その時点で久保は36歳。現役生活にひと区切りつけてもおかしくないだろう。しかしDeNA時代の同僚で、同じ松坂世代の後藤武敏の「絶対おれはあきらめない。チャンスがある限り頑張り続ける」との言葉に突き動かされ、トライアウトの舞台に挑んだ。
「妙な緊張感がありました。これですべてが終わってしまうんじゃないか、とにかく結果出さなきゃ、という……。ロッカーが他の選手と一緒なので、いろいろ話をしたりして。いや、僕から見るとすごくいい投手が多かったんですよ。なんで戦力外になったの? なんて話をしてました」
結果は打者3人に対して、被安打1。その時点では声がかからなかったものの、翌年2月に楽天にテスト入団する。そこで「手応えは……まったくなかったですね」と語っていた久保を救ったのは故・星野仙一球団副会長だった。
「合格だ」
若手投手の見本にもなってほしい――その思いを込めた一言に、久保は涙が出るほど喜んだという。久保はその後、一度は育成契約になった期間もあったが、2017~19年と3年連続で20試合以上登板するなどいぶし銀の働きを見せ、2020年限りでの現役引退を発表した。
トライアウトを経て、ピッチャーとしての野球人生をまっとうしたのである。