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「不謹慎かも知れないけど…」レース前の新谷仁美の姿が泣けた理由…29年ぶりの陸上「神回」を振り返る
posted2020/12/09 17:03
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
KYODO
2011年、箱根駅伝の早稲田大学の優勝メンバーのひとりで、いまは学校で教壇に立っている北爪貴志さんが、日本選手権の女子10000mについて、こんなツイートをしていた。
「不謹慎かも知れないけど、スタート前に色んな感情が入り混じってたであろう新谷さんの表情が、僕の中では最も感動的で泣けた」
まったく、同じ感情を抱いた。
10000mで30分20秒44の日本記録を出した新谷仁美(積水化学、従来の記録は渋井陽子の30分48秒89)は、レース前に泣いていた。
新谷を昨年から本格的に指導する横田真人コーチのツイッターを見ると、11月22日に行われたクイーンズ駅伝の朝食の席では、どんよりした顔の新谷が、
「帰りたい」
「こんなんじゃ風邪ひくよ」
「なにやってんだよ」
とネガティブな言葉を連発している様子が投稿されている。
レースへの恐怖がぬぐえず、それはレース直前まで続く。涙を流す姿は、独特のオーラを発している。
「試合前の恐怖」を表現する“是非”
北爪さんがツイートしたように、この日のレース前の新谷の姿は感動的だった(おそらく現場よりも、テレビで見ていた人の方が、映像から多くの情報量を手にしていただろう)。
試合前の恐怖。
それは陸上競技だけでなく、あらゆる競技者に共通する。中学生や高校生のレベルでは、試合前に泣いている選手をまま見かける。
ただし、日本だけでなく、世界でもその恐れをストレートに表現することを「是」とする文化はない。
新谷はその思いをストレートに出す。その素直さは、神々しいとさえ思った。
おそらく、陸上競技でレース前の複雑な感情を経験した人ほど、新谷の涙には感じるものがあったのではないか。そしてあの複雑な思いを、ストレートに表現できる新谷に、尊敬や憧憬の念を抱いたのではないだろうか。
これまでの取材経験では、日本の女子長距離選手たちは言葉やオーラといった面でみると、色彩に乏しいというのが私の感想だ(表現力が豊かな人たちはオリンピアンやメダリストになり、今はテレビで大活躍中だ)。
それだけに新谷の感情表現に、私は畏怖の念を覚える。
「横田コーチのせいです」→「おかげです」
そして走りも圧巻だった。