ぶら野球BACK NUMBER
誰よりも批判されたFA投手の逆襲。
大竹寛の生き方が心から格好いい。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKyodo News
posted2020/08/21 11:30
セットアッパーの大竹寛とクローザーのデラロサを中心に巨人のブルペンは回っている。
獲得時点から、反対のファンは多かった。
当時、『プロ野球死亡遊戯』というブログで頻繁に大竹のFA移籍について書いていたが、そこに寄せられるファンからのコメントの約8割は獲得に反対するものだった。人的補償で広島へ移籍したのが、まだ2年目の一岡竜司ということもあり、期待のプロスペクトを出してまで、30歳の10勝10敗投手を獲るのかという否定的な意見が多かったのだ。
大竹は巨人1年目の'14年、中日相手に6勝を挙げる竜キラーぶりを発揮して、チームのリーグV3に貢献。
トータルでも9勝6敗という成績を残したが、一岡も新天地の広島でオールスター戦に選出されるなどセットアッパーとして大ブレイク。これにより、大竹本人に非はないのに、ファンやマスコミから一岡を流出させた巨人側のプロテクト下手込みで叩かれる、かなり理不尽な状況に陥ってしまった。
「もう終わった」と思ってもおかしくない。
間が悪いことに、大竹の登板数や勝ち星も年々減少。不調時には「ラーメン二郎」で大盛りを完食し折れそうな心を整え、ときに契約更改に大遅刻して「普通に家で生活してました。すいません」と素直に謝っちゃう……というなんだかよく分からないニュースで取り上げられることはあったが、ついに2018年には一軍でわずか2試合の登板(1勝1敗、防御率6.00)に終わる。
当時すでに35歳だ。多くの人が、「大竹はもう終わった」と思ったのではないだろうか。
だが、本人はなにも諦めていなかった。俺はまだ投げられる。元ドラフト1位投手でFA移籍選手、すでに通算100勝に手が届きかけている実績を持ちながら、不遇の1年間きっちり二軍の先発ローテで投げ続け、モチベーションとコンディションを落とさずに9勝を挙げたのである。
これには当時の川相昌弘二軍監督からも、その若手の見本となる献身的な姿勢を絶賛されている。