JリーグPRESSBACK NUMBER
岩波拓也の覚悟は浦和を変えるか。
「期待に応える自負はあります」
text by
佐藤亮太Ryota Sato
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/07/30 11:40
エヴェルトンのハッスルプレー後、笑顔で手を貸しつつ声をかける岩波拓也。リーダーになりうる資質を身につけつつある。
高橋峻希が語る岩波の性格。
個人能力の高い選手が集まる分、チーム全体で戦えているときは強い一方、負けが続いた時に一枚岩になりきれないところに違和感を感じていたのだという。
昨季の浦和は、ACLでこそ準優勝したものの、リーグでは14位と低迷した。でも、浦和レッズは弱いチームではない――そんな岩波の叫びが聞こえるようだった。
移籍加入2年目ながら、浦和を強く思う岩波について、こんな証言がある。
「浦和に移籍するとき、相当な覚悟を決めていました。浦和を変えるつもりで移籍しましたから」
そう話すのがヴィッセル神戸時代にチームメイトだったDF高橋峻希(現柏レイソル)だ。浦和の育成組織出身の高橋は、岩波が浦和に移籍する際に相談を受けた間柄だ。
「(岩波は)リーダーシップを前面に出すタイプじゃないですが、秘めているものは熱いです。一言でいえば、内なる闘志を持った選手。自分の意見をしっかり持ちつつ、他人の意見にも耳を傾けるタイプ。たとえ衝突したとしても、それはサッカーでの話だし……それだけ責任感が強かったんです」
浦和を変える――常に優勝争いをする強いチームにするための覚悟と責任が岩波の言葉の根底に流れている。
「神戸の時は自然と勉強に」
覚悟と責任。それらの源泉は神戸時代にある。
神戸の育成組織出身の岩波は2012年6月、18歳でプロ契約した。その後、神戸の主力になるが、浦和に移籍する'18年までのあいだ、宮本恒靖(現ガンバ大阪監督)、大久保嘉人(現東京ヴェルディ)ら多くの代表経験者、そして神戸に19年間在籍した尊敬する北本久仁衛(現ヴィッセル神戸サッカースクールコーチ)などの背中を見て育った。
「神戸のときは、自然と勉強になりました。(トップチーム昇格が)18歳だったので何でも吸収する時期でした。浦和でいうなら、橋岡(大樹)が槙野(智章)くんと一緒にプレーして学んでいるのと同じことだったと思います」
神戸での在籍6シーズンでは、J2降格にJ1復帰、残留争い、そしてJ1では過去最高となる7位に躍進するなど、数多くの経験をした。その中で、岩波の心身は育まれていったのだ。
そして2018年、神戸でとれなかったタイトルと、自身もさらなる高みへ。そう覚悟と責任をもって、浦和に勇んでやってきたのだ。