競馬PRESSBACK NUMBER

初ダービー14着惨敗から22年後、
福永祐一の成熟と二冠コントレイル。
 

text by

平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

PROFILE

photograph byKyodo News

posted2020/06/01 19:00

初ダービー14着惨敗から22年後、福永祐一の成熟と二冠コントレイル。<Number Web> photograph by Kyodo News

武豊、横山典弘、M・デムーロに続き、現役4人目となるダービー2勝目を挙げた福永祐一。

ウオッカ、キズナの前に涙をのみ。

 2000年から'19年まで、彼がダービーに乗らなかったのは'02年の1度きり。03年以降は今年まで実に18年も連続で騎乗した。ただ、先頭でゴール板を通過するのはなかなか難しかった。

 '07年には14番人気のダークホース・アサクサキングスを2着に好走させたが、あろうことかこの年に限って出走してきた牝馬のウオッカに栄冠を持っていかれた。

 '12年にはワールドエースで1番人気に推されるも4着、翌'13年にはエピファネイアで「今度こそ勝てたか?」と思えるシーンを演出したが、ゴール直前で武豊騎手騎乗のキズナに強襲され2着に惜敗。'15年のリアルスティールも2番人気と有力視されたが終わってみれば4着に終わった。

 当時は福永騎手自身「もうダービーを勝てないのではないかと思った」と後に吐露している。

 この間、オークスは'04年にダイワエルシエーロ、翌'05年がシーザリオ、そして1年あけた'07年にはローブデコルテでいずれも優勝し「東京の2400メートルの乗り方が分かってきた気がする。ダービーも遠くないかもしれない」と語った時期もあったのだが、ダービージョッキーにはなれずにいた。

真摯に努力し、実績を積み重ねて。

 にもかかわらず毎年のようにダービーに騎乗出来たのは、デビュー当初から真摯に競馬に向き合い、努力を重ねたからであり、その姿勢を多くのホースマンが見ていたからだろう。

 単身アメリカに長期滞在をした時期もあった。シーザリオでのアメリカンオークスやエイシンプレストンとの香港での再三の活躍、ジャスタウェイではドバイで優勝するなど、海の向こうでも実績を残した。

 こういった努力と実績を積み重ね、リーディングの座も射止めた。そしてついに一昨年の'18年、日本ダービーを優勝。コンビを組んだワグネリアンは5番人気だったが、積極的に勝ちに行く競馬をしてついにダービージョッキーの称号を掌中に収めてみせた。

【次ページ】 「やっぱり来たなと冷静に」

BACK 1 2 3 NEXT
#福永祐一
#コントレイル

競馬の前後の記事

ページトップ