中山雅史の名言
人生は山あり谷あり。下がった時に、どう考え、どう行動するか。僕はいつでも挑戦者の立場ですから。
中山雅史(サッカー)
2020/05/19
1997年11月16日、日本が初のW杯出場を決めた試合で先発した“炎のストライカー”は貴重なゴールで勝利に貢献した。実はこの1カ月半前、最終予選の韓国戦ではテレビ中継のピッチリポーターを務めていたという。「リポーターからスタメンへ。そんな話、普通はないですよね」。当時ジュビロ磐田でコーチだった山本昌邦氏とともにフィニッシュの改善に取り組んだ成果が表れ、それがジョホールバル、フランスW杯、そしてJリーグ4試合連続ハットトリックという大記録へと繋がっていった。一度現役を退くも、2015年に沼津で復帰。飽くなき挑戦はまだ終わらない。
Number1001号(2020/04/16)