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「このベルトを大きくしてほしいんですよ」“IWGP女子王者”岩谷麻優の焦燥…トラウマ克服で7度目防衛も「1年後も2年後も、4年後も変わらないかも」
posted2024/10/10 17:04
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
10月5日にドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で行われた岩谷麻優とトニー・ストームのIWGP女子選手権試合は見ごたえがあった。
岩谷とストームの物語は7年前の2017年9月24日、名古屋国際会議場まで遡る。岩谷はその前日までスターダムの赤(ワールド王座)と白(ワンダー王座)のベルトの2冠王者だったが、それぞれの連続防衛戦が組まれ、23日に「美闘陽子にボコボコにされて」(本人談)白いベルトを失っていた。
ストームはその年の春にシンデレラトーナメントを制し、さらに秋の『5★STAR GP』を制したばかりで勢いに乗っていた。もし、ストームに負けるようなことがあったら……。そんな不安を抱えての対戦だった。
「赤まで失ったらヤバい。負けたら無冠になってしまう」
岩谷は精神的に追い詰められていた。
「自分、骨ヤバいんだ」左ヒジを脱臼…激痛でパニックに
岩谷は試合開始早々、ロープ際のストームに低空ドロップキックを放った。だが、マットについた左ヒジを脱臼してしまう。
痛みのあまり、岩谷が場外にエスケープすると、風香GMは「骨が……!」と叫んでいる。
「自分、骨ヤバいんだ」と実感したという。
「その言葉で痛みが増した。ヒジがダラーンとなっちゃって。立ったけれどダラーン。どうしよう。痛い。パニックでした。私の人生で一番大きなケガ。実際の時間より体感の時間の方が長かった」
2分20秒、レフェリーが試合を止めて、赤いベルトはストームに移った。
「なんでこんなタイミングでケガしちゃうんだろう」
岩谷はアクシデントに狼狽していたが、同時にストームに対して「こんな形でチャンピオンになるのは嫌だろうな」と申し訳なく思った。
再戦は翌2018年4月1日に同会場で行われた。王者と挑戦者の立場は逆転していたが、岩谷はストームに勝つことはできなかった。
その後ストームは主戦場をWWEに移し、2022年からはAEWのスターだ。「タイムレス」というキャッチフレーズ通り、1960年頃のモノクロームのハリウッド映画から抜け出してきたようなキャラクターは独特のものがある。得意技の「ストーム・ゼロ」はドリル・ア・ホール・パイルドライバーで、かつての「ストロング・ゼロ」の呼び名を変えたものだ。そんな名前の缶チューハイがあったが……。