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<初代編集長が明かす創刊秘話>
「江夏の21球」と起死回生の長嶋茂雄。
posted2020/04/07 08:00
text by
岡崎満義Mitsuyoshi Okazaki
photograph by
Sports Graphic Number
1980年、日本初の総合スポーツ誌として誕生したNumber。その第一歩は、2人の野球人の存在なくして語れない。創刊当時の編集長が、1000号に至る道の原点を振り返る。(Number1000号掲載)
「カラーグラビアの総合スポーツ誌を作ってほしい」
1979年9月、42歳だった私は、こう言われ、新雑誌の編集長を命ぜられた。のちに2代目の編集長となる松尾秀助君が1年間のアメリカ留学から帰国した折、会社の上層部に「今、西海岸で面白いスポーツ雑誌がどんどん出てきている」と報告したことがきっかけだった。
当初の編集部員は7人。文藝春秋という会社には、それまで活版の雑誌しかなかったから、そもそもグラビア誌を作る経験がなく、随分と苦労した記憶がある。その頃は文藝春秋がスポーツ誌を出す、というだけで大きな話題となり、新聞、テレビから沢山の取材を受けた。私は普段、細かく手帳を付ける方ではないが、この年ばかりは手帳が分厚く膨れ上がった。